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淮南衡山列伝

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 8月20日(月)00時49分41秒
  maedaさんへ

全部がねつ造です。原因は秦以前と以後で言語が変わって、中国史籍の総て誤訳になる。
神奈川徐福研究会ホームページ に見つけたので報告しました。淮南衡山列伝には佐賀(萬)に始皇帝が来航を予定していたが寿命が尽き来られなかった。が真相、・・。

虚蝉(上)12ページの古事記上巻?序で言語が変わった事を臣安萬侶が云っている。
文章は彰(あきら)かである。於いて、洗(あら、)う、は目(め、)、浮は沈、海は水、天津神(あめ、つ、かみ、)は天津神(あま、つ、かみ、)を表す。
 

淮南衡山列伝

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 8月19日(日)22時36分50秒
  秦野さま

「淮南衡山列伝(わいなんこうざんれつでん)の翻訳ですが間違ってます。
創作と捏造になっている。」とありますが、以下の文章ののどこかが間違っているのか、それとも、全部がねつ造なのでしょうか。

徐福は海に出て、不老不死の薬を求めたが、帰って来て、始皇帝に偽りの報告をした。
「私は海の上で大神に会い、こう言われました。・・・『あなたたちは何を求めている
のか?』。『不老長寿の薬をお願いしたい』。『秦王の礼物では足らない。不老長寿の薬
は見せるだけだ。』と言い、私を蓬莱山に連れて行った。『何を献上すればよろしいの
でしょうか』と言うと、海神は『良家の少年少女三千人、五穀の種子、各種の職人を献
上すれば、神薬を得られよう』と言われました」
始皇帝は大へん悦んで、少年少女三千人と五穀の種・諸道具・職人を与え、東方に
行かせた。
徐福は平原広沢(広い平野と湿地)に着き、そこの王となって帰ることはなかった。
それで秦の民は嘆き悲しみ、乱を起こそうとする者が十戸のうち六戸も出るような状態
になった。
 

淮南衡山列傳

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 8月17日(金)19時07分59秒
  史記卷一百一十八淮南衡山列傳第五十八作者:司馬遷

神奈川徐福研究会ホームページ  徐福とは

2014年5月21日(水)神奈川県民センター

徐 福 基 礎 講 座  神奈川徐福研究会 伊藤健二

淮南衡山列伝(わいなんこうざんれつでん)の翻訳ですが間違ってます。
創作と捏造になっている。

http://xufu.sakura.ne.jp/kisokouza.pdf

淮南衡山列傳は秦以前、秦の歴史、と徐福の封禅(ほうぜん)の理由が記される。

 

プサ翻訳

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 8月 9日(木)15時31分14秒
  暫く、たわごとになる。難物です、やたらと日本語が多い、

Zy noemen de maagden Angela
徐福の能面 処女アンジェラ、
Zy:徐福(zyo-fuku)、noemen:能面、maagden Angela:処女アンジェラ、
fecula:剣

wikipedia
能楽に面を使用した記録に残る最も古い例としては、弘安6年(1283年)の春日神社での猿楽・・・。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E9%9D%A2
猿楽の猿は申(さる、)で 岐穢國の楽と思われる。能面は徐福、天照、ヤオヨロズの可能性があ
る。能には古代からの記録があるようだ、
 

プサ図原典

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月26日(木)21時28分19秒
  文章の名詞部分は一部を除き、日本語になっている。
もう少し検討する必要があります。

Do Bonsii 盆栽をする から pussa語源は盆栽の房、(プサ)?
徐福の渡来を説明するのに、盆栽(扶桑)で説明したと思われる。
Zynde港 ,文中にosacca(大阪)saccai(堺)Cbineesen(須弥山) fecula(福良)

史記卷一百一十八淮南衡山列傳第五十八作者:司馬遷
の翻訳は次回お会いできれば説明します。
 

プサ図原典

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月26日(木)00時58分35秒
  文章を視るところ名詞が筆記体になっているのでは・・・。
名詞の読みは日本語でギリシャ語表記 もう少し思考しましようか、

Acbaz, アクバズ、Pussa,プッサ
Hiskia, ヒスキア(ユダヤの王)
Ammnon,アンモン
Anubis, アヌビスアヌビス(Anubis、エジプト語ラテン文字転写:inpu、古代ギリシア語: ?νουβις )はエジプト神話に登場する冥界の神で、リコポリスの守護神。
Panders, パンダ、Do Bonsii 盆栽へ
 

プサ図原典

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 7月25日(水)23時19分48秒
  神奈川大学にあったということが分かっただけでなく、全文がHPで見られることは、大変ありがたいことですね。ただ、文章がオランダ語ですから、小生には内容がつかめません。秦野さんはわかるのでしょうか。  

プサ図

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月25日(水)14時16分50秒
  神奈川大学にあります。偶然発見しました。

KANAGAWA University Repository >
800 図書館 Kanagawa University library >
貴重書 Rare Books >
b 日本研究コレクション  >
〔01〕  Gedenkwaerdige gesantschappen der Oost-Indische maetschappy in 't Vereenigde Nederland, aen de kaisaren van Japan >

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/handle/10487/4653?mode=full&submit_simple=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%92%E8%A1%A8%E7%A4%BA%E3%81%99%E3%82%8B

12 Montanus.pdf Partial data NO.12  / 分割データ 18.08 MB Adobe PDF
 

プサとは

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月25日(水)12時25分51秒
  史記卷一百一十八淮南衡山列傳第五十八作者:司馬遷 の原文を翻訳予定

徐福の渡航経緯が明確になる。

プサの佐賀ですが万葉集の記録されているか確認しますが保証はない。
 

モンタヌスのプサ図

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月24日(火)19時30分32秒
  プサ図の特定はプサ図の左上が孫権伝」230年で説明してる、夷州(阿蘇山)と山海経大荒??に台湾、沖縄、奄美、甑島、扶桑木の順に紀され、阿蘇山は当時は噴火し、筑後川は温水が流れていたとのこと。山海経から扶桑木は佐賀の大川になる。また、人物は古事記、万葉集との突合せを行っている。中国語で扶桑は槿(ムクゲ)を云う、南洋ではハイビスカス(赤槿)になる。なにより、プサ図の説明文がゴールになりそうです。

モンタヌスの『日本誌』和田萬吉訳, モンタヌス自身は一度も来日しておらず、イエズス会士の報告書に基ずく物と思われる。プサ図は長崎に有るとのこと、小生も取り寄せようとしましたが
時間の関係で断念しています。15世紀の伝承、ポルトガル語?の翻訳が必要です。

鹿児島県いちき串木野市 封禅
司馬遷 「淮南衡山列伝」『史記』巻118。徐福の渡来理由が紀される。
 

モンタヌスのプサ像(2)

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 7月24日(火)14時35分51秒
  『おかしなジパング図版帖』における説明によると、プサとは、ブッダもしくは菩薩のこと。この絵は、荒唐無稽の極致ともいえる絵だが、アタナシウス・キルヒャーの『シナ図説』に、これとよく似た図があり、それをもとに描いたと思われる。手前の火を焚いて礼拝する2人の男や、右の舟に乗る坊主などは、オリジナルに書き加えられている、とのこと。
 秦野様は、貴著『虚蝉(上)』において、舟に乗る坊主に該当する人を「徐福」と書き込んでいますが、これはどこから得た情報でしょうか。モンタヌスの原本に書かれていたのでしょうか、お伺いします。
 

モンタヌスのプサ像について

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 7月24日(火)14時21分57秒
編集済
  秦野様 先日は本の紹介有難うございました。
その後、田島さんから壱岐一郎先生に首記情報が伝わり、モンタヌスの『日本誌』を調べたところ、プサ像の挿絵が載っていないとの指摘を受けました。小生も、インターネットでモンタヌスの『日本誌』を検索し、全文が公開されていることを知り、該当の絵を探しましたが、見つからなかったです。
別途、神奈川徐福研究会の伊藤氏が、その絵が載っている本の紹介をしてくれたので、宮田珠己著『おかしなジパング図版帖』を購入して見たところ、この絵図が載っておりました。
その説明によると、この絵は、英語版の『日本誌』にはなぜか収録されていない。さすがにこんなものはないだろうと訳者が考えたか、とありました。
 

日本no

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月 7日(土)13時22分4秒
  万葉集319を翻訳すると

白村江から齊明天皇は帰り、倭を甲斐国に移し、駿河国と神奈川(相模、伊豆・・)の三国と「やまと」を併せ、日本にする。また、藤原旧跡(現在名)と平城京は焼払われた。660年代になる模様。
信じられないが文書になった。唐へ倭国から日本に国名の改名を報告している。
もう少し、万葉集を読み進める予定

『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或曰:日本舊小國併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限山外即毛人之國。

意訳、日本国者、倭国とは別者なり、その国は日のほとりに在る。ゆえ、名は日本なり、云うに、倭国はその名は雅(雅州)であるが、雅でないことを憎む、此れを改め日本にする。日本、古く小さい国と併せる和国これ地。その地の人が入朝する、多く慎み、無口であるが、中国は疑わない。この日本国は東西南北に数千里あり、西と南は大海に至り尽

 

徐福の足跡は古事記

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 6月20日(水)17時44分30秒
  徐福の足跡は古事記に記される、魏誌倭人伝の書換えが必要な字記される。
著書の冒頭に古事記の翻訳を入れてある。(注、文体は現代文とさほど変われない)

魏誌倭人伝に書換えが必要な字がある、この字は古事記に記されている。
字は水は海に書換えが必要、入るは出る・・などがある。

例だが、從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里を例にする。

從郡至倭の郡は現在は帯方郡になるが、楽浪郡、帯方郡の2郡になる、2郡に従うが正しい。
2郡位置は『後漢書』倭人伝に記録がある。2郡位置の確定に方位が必要になる。

循海岸水行は循海岸海行、海岸を巡り海を行く、になる。
邪馬台国は万葉集に情景、位置は山海経に琅邪から三萬里にあると記録される。
魏誌倭人伝には 南至邪馬壹國 女王之所都 水(海)行十日陸行一月になる。

古事記に663年白村江以降に日本に還り改革したとある。飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%99%82%E4%BB%A3
飛鳥時代、(645年)大化の改新はない、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0

著者の反省、古事記は1300年解読されていない状況で、まあよく魏誌倭人伝に挑戦したものです。素人の恐いもの知らずになります。下手をすれば一生解けない難問です。

秦野北斗の著書に纏めています。
必要な方はFAX072‐272-4456まで(注、書店での取り扱いはしていません)定価3000円

尚、前田さんには本日郵送しました。
 

資料の打ち合わせ確認

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 6月 2日(土)00時39分24秒
  6/24の週で神奈川行きを考えています。
確認は神奈川の徐福伝承、子産石(バラスト石)、関東日本王国の3件は同一になる。
佐賀の徐福伝承、魏志倭人伝、古事記、その他
それと、神奈川徐福研究会の会長:田島孝子を紹介して欲しいです。(前田さんの紹介等でお世話になりました。)著書は十分満足できるものになっています。 
 

またの機会に

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 5月23日(水)10時57分9秒
  蓑毛の宝蓮寺に、行く機会があればあたってみましょうか。
写真の方は、大分以前のことなので、探し出すのが大変です。
 

蓑毛のお札

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 5月22日(火)12時58分22秒
  お願いです。お札ですが、maeda さんが写真を撮られてました。
秦野に行った時、お札1枚購入したいものです。蓑毛にお願いできないでしょうか。
 

新著書籍期待しています

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 5月22日(火)11時47分52秒
  いよいよ、印刷に入るのですね。出来上がれば、1冊購入させていただきます。なお、以前蓑毛に来られた時お札を入手されていたのですか。いずれにしろ、聖武天皇、良弁、行基は、東大寺建立を計画し、国分寺を日本全体に広めようと決めた人たちです。それに関連する情報が蓑毛にあったとは、興味深々です。秦野に来られる場合、ご連絡ください。お会いしましょう。  

新著書籍

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 5月19日(土)12時48分51秒
  著書の内容の再確認は先日終わりました。5月末に印刷予定です。
著書の再確認の際に神奈川が出てきたので質問させて貰いました。バラスト石はこれから過大でしょう。6月中にはそちらえ行きます。それと、秦野に行った時の蓑毛の御札?ですが聖武天皇、良弁、行基の様です。聖武天皇の洗礼名は沙弥勝満(しゃみしょうまん)の様です。
 

子産石

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 5月19日(土)11時30分56秒
  子産石が座礁船のバラスト石であるという資料があったということは、興味深いですね。小生はバラスト石に詳しくありませんので、その使用量について知見を持ち合わせていません。
ところで、秦野様の新著書籍は、発刊されたのでしょうか。お伺いいたします。
 

「子産石」(こうみいし)三浦半島

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 5月16日(水)18時31分22秒
  子産石は座礁船のバラスト石の様です、座礁船の其れらしき資料が出てきました。座礁船は4~5千隻になります。徐福船団とは考えずらい。所で、古代船の一船当たりのバラスト石の量が不明なので知っていれば教えてくれませんか。  

金印

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 2月26日(月)22時40分55秒
  気になりますね。そのうちまた、よろしくお願いします。  

己大方 金印

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 2月26日(月)00時29分40秒
  >実印として使用しているとか。まあいいでしょう?
国宝クラスになるのですが、実印ですか、騒ぎが大きくなるまで保留です。
詳細は後日お会いした時にお話しします。家一軒ぐらいは軽く建つ、
 

己大方 金印

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 2月25日(日)22時38分21秒
  昨年の秋、友人とその印を保有しているといわれる、山中湖の北岸の、秦さんのところに伺いました。ところが、金印は、その親戚(近所)の人が、実印として使用しているとか。見ることはかないませんでした。秦武栄著の『徐福ロマン』に、調査結果が記載されています。
 

己大方 金印

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 2月23日(金)10時35分59秒
  maedaさん、己大方(みたいほう) 金印の所在をご存知ありませんか。
神奈川の徐福伝説と密接な関係があることが判明しました。
秦野はmaedaさんの資料との突合が楽しみです。
 

連絡法

 投稿者:maeda  投稿日:2018年 2月10日(土)17時54分49秒
  連絡するには、本掲示板の親元の「古代神都東三河」のHP表にあるメールをクリックすれば、管理者にメールできます。管理者を媒介して、メール交流できるよう取り計らいます。(maeda)  

ご著書を希望します

 投稿者:中根太藏  投稿日:2018年 2月10日(土)06時07分22秒
  我が住所をご連絡する方法を教えてください。
この公開の掲示板には出すのは憚りますので。
 

飛鳥時代が捏造?

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 2月 8日(木)23時33分51秒
  掲示板に書けば混乱しますので避けたい。
書籍の出版 遅くても6月までに出版します。自費出版で郵送のみ、
尚、maedaさんの資料と突合を考えています。参加可能なら参加して下さい。
 

飛鳥時代が捏造?

 投稿者:中根太藏  投稿日:2018年 2月 8日(木)05時49分30秒
  どういう経過と事情を辿ったのか、などのもう少し具体的なお話が可能なら伺いたいのが自然でしょうね。  

飛鳥時代が捏造?

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 2月 6日(火)12時02分53秒
  捏造の意図は誰の何の目的か知りたいですね。・・・調査しました。
飛鳥時代、奈良時代、平安時代に及ぶ模様。個人ではなさそうです。
これからの課題になります。答えになりますか。

 

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