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こんばんWA

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月22日(月)20時41分7秒
返信・引用
  輝ちゃん こんばんわ、

正式に転会されたようですね。

おめでとうございます。(*^_^*)

バプテスト派は これはという特徴もなく、全体にオーソドックスというか、無難な派です。

かくいう私もバプテスト派で、バプテスト派も、いくつかありますが、

初めての人が言ったとしても

聖霊派のように、特に わわわわわということもありませんよ。

そういうと、聖霊派に申し訳ありませんが、正直な気持ちです。

プロテスタントの王道をいく派と思います。 なんてね。(*^_^*)

でも、それぞれにいいところがあるからね。

それから 目の手術は来年の1月なんですね、主に 祈っていますからね。

不安でしょうが、そこを乗り切ると、きっと 良くなると信じます。

妻は、やっと、仕事に慣れてきているようです。

時間通りに終わるし、休みも普通通り、それでよかったと思います。

通勤距離が少し長いのがネックですが、仕方ないよね。

それで 朝の5時半に起きていますよ。

ではでは。。。。。(*^_^*)
 
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月22日(月)20時27分7秒
返信・引用
  「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」

          聖書 詩篇119:71


人生を生きるにあたって、悲しみや苦しみはないほうがいいと願います。しかし、生きる限りのがれることはできません。では、試練・悩みは何のためでしょうか。いろんな説明が出来るでしょうが、聖書が語っているのは、神様と出会い、神様を知り、信じて、神様と共に在る平安と喜び、望みと力を体験するためです。苦難は決してマイナスではなく、私たちを真の命に結びつける大いなる恵みです。
 

正式に転会して

 投稿者:輝子  投稿日:2018年10月20日(土)10時00分2秒
返信・引用
  秋らしくなりました。(*^-^*)

洋ちゃん 夫婦仲むつましくいいですね。
白内症の手術待ちでして、それが1月末なの。待たされます。
だから極端に見難くてご無沙汰ばかりでごめんなさい。

バプテスト教会ていいですね。牧師によるとは思うけど、
メセージが素晴らしい。目立つ人を作らない。神の前で人は
平等を貫いてられますよ。良い教会に転会出来ました。

アメリカにはバプテストが多いらしいですね。
色んな教派があるけど、私は転会して良かった。十字架に示されてる
ように縦の神との関係、横の関係の兄弟姉妹の交わりが
大事と痛感であります。

1月末までなかなか来れずごめんね。
 

夕べ礼拝のメッセージ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月15日(月)17時09分17秒
返信・引用
  【信仰短言】

「復活の信仰」  沖縄県 那覇バプテスト教会

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これがキリスト.イエスにあって神があなた方に望んでおられることです。」

         第一テサロニケ 5章16-18

聖書の中で最も有名な御言葉が上記の喜び、祈り、感謝、のお言葉でしょう。私たち自身も暗唱し、口づさむことの多い御言葉です。この御言葉が記されているテサロニケの教会では復活信仰について懐疑的な意見が強くあったようです。それを受けたパウロ先生はイエス様の復活についての詳しく述べ、復活こそが私達の信仰の土台であり、その信仰を大切にすることを勧められました。
5章はの締めくくりの部分となり、より具体的な信仰生活の勧めが列挙されています。
16-18節の「喜び、祈り、感謝、」はその一部なのです。よみがえりの信仰に立つ私達は、指導者を主にあって認めること、平和を保つこと、相手に相応しく言葉かけをすること、互いに善を行うこと、さらにイエス様にあって喜び、祈り、感謝、すること、また御霊をけさないこと、預言を重んじること、等をその信仰のゆえに守り行うのです。大切なことは繰り返されている「イエス様にあって」です。自助努力や、経験ではなく、これらを成し遂げることができるのは復活のイエス様にあって であることを覚えましょう。
 

夕べ礼拝にて。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月15日(月)17時05分58秒
返信・引用
  今日は、私がお世話になっている沖縄県の那覇バプテスト教会の夕拝に行きました。なんか疲れ果てていて、疲れた顔がそのまんま出ていますね。教会の夜景はこのようなものです。聖霊充満になり、帰ってきましたよ。
 

ある日の午後

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月15日(月)17時03分28秒
返信・引用
  今日のお昼、また丸亀製麺に行った。そして 白いご飯一杯とエビとイカ、カボチャのてんぷらを買って、無料の天丼用のアマダレを使って、天丼にしたら、これがとてもうまかった。妻は、うどんを頼んでいたが、こんなのもいいよね。隠れメニューのような感じがした。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月 8日(月)20時40分34秒
返信・引用
  「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」

          聖書 エレミヤ32:27


「主」とは中心、根源などの意味を含むことばです。いうならば、全ての始まり、中心は神様であるという宣言です。人は自分が人生の「主」だと思っていますが、そうではなく、神様があなたの人生の「主」であり、「神」であるというのです。しかも「できない事」がない方です。この神様があなたを生かし、持ち運び、人生を終わらせるのです。神様の大能のみ手の中で、限りない愛によって生かされている幸いを感謝しましょう。
 

こんばんわ、はぐれ羊さん

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月 8日(月)19時22分9秒
返信・引用
  こんばんわ、はぐれ羊さん

お久ふりですね。


はい、沖縄は、大きな台風を2回も食らいまして、
たくさんの被害が出ましたよ、
幸いにも、私達は、被害を受けませんでしたが、
道路に、大きな木が倒れたり、車がひっくり返ったりと、
もうそれは、ひどかったです。
何より、広範囲な停電も答えました。
台風対策に勝っておいたものが、腐ってしまい、仕えませんでしたよ。
そういえば、北海道も停電などや、インフラが、破壊されたようですね。
台風に、地震とお互い大変でしたよね。
なんか、日本のどこにも安全なところがないみたいになってきていますよね。
ふと、世の終わりとかを感じてしまいましたよ。
お互いに、いろいろありますが、頑張っていきたいですね。
それから、一人暮らし なれましたか?
慣れるというか、それに慣れるしかないですよね。
子供さんが旅だったのですから、仕方ないですよね。
私も色々大変です。
最近は、腰痛から、坐骨神経痛にまで来てて、仕事 一つ減らしました。
体が耐えられなくなってきているのです。
まっ、こんな感じですよ。
 

キリスト者の無神経さ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月 8日(月)19時09分57秒
返信・引用
  『キリスト教が理解されない理由』

キリスト教は、ずいぶん前から、日本に伝来しましたが、
一部の人たちに浸透しているだけです。
これは、
私たちキリスト者側にも責任があると思います。
なぜなら、
対馬の仏像が韓国の人に、持ち去られても、
仏像が台風で倒れ倒壊しても、
神社仏閣を外国の人にペイントされたとしても、
キリスト信仰にある者は、
偶像崇拝を禁止されているから
それを主の御業が現れたと、
こともあろうに、被害者の事などに関係なく、
喜ぶようなそぶりを見せることなども、
一因していると思います。
世の人にとっては、災いなのに、
キリスト者にとっては、
喜ばしい事のように思う振る舞いや、言動。
いくら聖書に偶像崇拝の禁止があったとしても、
他の人の不幸を喜ぶようでは、
世の人の理解など受けるわけはありません。
たとえ、偶像にしても、
それを大切にされている人たちもいるのです。
私達の教会が倒壊して、世の人が笑ったら、どうですか?
それと同じことをしているのです。
宗教はいろいろあります、
だから、他の宗教を キリスト教の価値観の中で、
判断したらいけないこともあるということです。
倒壊や、盗難、落書き被害、に合われた方には、
喜ぶことより、やはり、同情すべきではないでしょうか。
ふと そう思いました。
泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ
この姿勢は、大切です。
その中から、
キリスト教の理解も深まるというものです。
 

今晩は☆

 投稿者:???羊  投稿日:2018年10月 8日(月)19時03分54秒
返信・引用
  ☆北国も地震が二回も訪れ酷い目に遇いましたが元気です。
 そちらは台風があるので大変でしょう。主の祝福を祈ります。
 

また台風かえ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月 3日(水)20時58分3秒
返信・引用
  今日は、台風25号が4日と5日に最接近か直撃するらしいから、停電に備え、今度はキャンプ用のランタンとか、懐中電灯を用意しました。先の24号台風の時は、ほんとになめていましたから、適当なものでした。しかし、防災対策は、やはりしっかりしないとね。国防もしっかりやってほしいので、災害対策も、しっかりやるつもりです。まだ地域によっては、24号被害の後遺症がある中で、今回25号の再来となりますから、心配です。24号では、大きな被害とともに、いたるところに、倒木があり、小枝も散乱していました。妻の職場も、ガラスがたくさん割れたようですし、掃除も大変だったとか。私の住むアパートも、それなりに、ベランダとか、めちゃくちゃになっていましたし、車がかわいそうでした。木っ端まみれになり、あちこちから吹き飛んできたものが当たっていました。傷もありましたので、コンパウンドで磨き傷を消しました。ああ、そして、台風当日、仕事が入っています。どうなるんかいな。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年10月 3日(水)20時24分54秒
返信・引用
  「そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」

            聖書 ルカ 17:15,16


重い皮膚病に罹っていた十人の病人がイエス様の言葉に従ったところ、すっかり癒されました。そのうちの一人だけがイエス様に感謝したのです。ところで、私たちはどうでしょうか。毎日、神様からたくさんの恵みをいただいていながら、どれだけ感謝していますか。日曜日、礼拝に出て、神様に心から感謝する時、あなたの人生は全く変わります。
 

もう一つの天国

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月25日(火)09時58分45秒
返信・引用
  『もう一つの天国』




今朝、ある要件で、車を走らせていたら、おなかがすいたので、近くのローソンによって、朝食を買い走りながら食べていると おなかの調子が悪くなり、ゴロゴロしてきた。それで、トイレを探したのですが、なかなかありませんで、自宅まで我慢していると、通勤時間のために、渋滞に引っかかりました。車はノロノロ走り、時々道路のアップダウンの振動で冷や汗かきましたし、やっとの思いで自宅に着いた時も、階段の振動で、あっ、ダメだと何回も思いました。そして、念願のトイレ。その時、このトイレが、なんか、素晴らしいところに感じましたよ。もう一つの天国がありました。トイレって、こんな時、何にもまして、素晴らしいところと感じますよ。





 

天にも、地にも。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月24日(月)19時55分0秒
返信・引用
  『キリスト者は 天にも、地にも、目を向けることだよね。』

私達キリスト者は天を仰いで、天の事に思いを馳せます。
それが信仰、信じて仰ぎ見ることです、
そして私達の国籍は天にあります。
しかしながら、
地上にいる間は、
私達は、訓練を受けている期間でもあります。
そこには、地上の権威もありますし、
キリスト者は地上の権威にも従わなければなりません。
私の国籍は天ですから、
地上の事など全く関心はありませんでは、通用しませんし、なら天の御国においても、
地上の訓練を放棄してきたのですから、
受ける祝福もやはりそれに見合うだけのものです。
しっかりと、地上の権威に従い、
訓練も終え凱旋した者には、その祝福も多いと思うのです。だから、
私達キリスト者も地上の事に疎くなってはいけませんよね。そう思います。
 

印象操作

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月23日(日)23時02分57秒
返信・引用
  『沖縄の事を語る時、必ず出る話題。』

沖縄の事を語る時、すぐに米兵の問題が出ます。
米兵が犯罪を犯した、事故を起こしたと。
では、もし、沖縄に米軍がいなかったら、
犯罪は起こりませんか?
沖縄の人たちが、
犯している犯罪 レイプとか、殺人、窃盗、不法侵入も多数起きています。
米兵がいるから、特別とは思いません。
なぜなら、米兵も、ほんとに優しい人もいるし、
思いやりのある方たちもいますし、
その家族も優しいですよ。
私は、別に米軍を擁護するわけではありませんが、
犯罪を言う時、
米兵だけでなく、この日本人というか、
沖縄の人たちも、犯罪を多く行っています、
だからと言って、許されるわけではありませんが、
フェアーに接するべきだと思います。
確かに、米軍の中には、一部に、ふらつきがいますが、
それは、全てではありません、
私の故郷の長崎県でも米兵の問題で、
佐世保市民だって、
犯罪を犯しているでしょうと言う事が話題になりました。
私は、よくショッピングモールで、
米軍関係の家族によく出会いますが、
とてもいい人が圧倒的に多く、
これを沖縄の選挙のたびごとに、
沖縄の地元新聞が書きたてて、
県政与党(沖縄では内地と逆)に有利に、
印象操作していますから、
内地の人たちは、それに惑わされ、
米兵は、あたかもすべて犯罪者のごとく書きたてられます。また、
米兵は、日本人の事故の時や、
困っている時、助けてくれてますよ。
それと同じく、
自衛隊の皆さんも、いろいろな面で、助けてくださいます。だから、
一概に、批判的になるのも考え物です。
 

韓国の牧師のメッセージ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月23日(日)22時54分51秒
返信・引用
  『韓国牧師、熱いメッセージは良いが』
今日の礼拝は、家族礼拝の方に参加した。牧師は、来日した韓国人で、通訳を介して、間接的に聞いたので、なにかストレスがたまった。また、長い時間、連続して、熱いメッセージを身振り手振りで語るので正直つかれた。熱いのはいいのだけど、日本の国民性は、連続して、熱い語りだと、疲れるし、聞く姿勢もやや後ずさり気味となる。やはり思った。日本の教会には、日本人牧師が一番いい。言葉も理解できるので、ストレスが無くなる。なんでもそうだが、牧師は、聖書の話をこれだけ知っているのだと言わんばかりに、長く語るが、聞く側は、15分程度しか持たないから、15分以内に、要点をまとめるべきだと思った。集中力のある間に、メインを語ればいいよね。
 

沖縄県知事選

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月21日(金)19時01分15秒
返信・引用
  『沖縄県と、普天間基地の危険除去のために立ち上がった「サキマ」さん。』

普天間基地の危険除去のため、米軍は辺野古埋め立てを5年以内に完了してもらい移転する計画だ。その期限も近い、政府が埋め立てを急ぐのはこのためである。もし、それができない時は、普天間基地は固定化されてしまう。『サキマさん』はその普天間基地のある宜野湾市長であったが、今回の知事選にその解決を考え、出馬されたのである。また、返還されれば、広大な跡地を沖縄振興のために跡地を積極的に利用する考えをお持ちだ。いつまでも、日本国政府と、対立し、県政を混乱させたくないとの判断と、普天間基地危険除去の熱い志を持っての立候補である。
県政を混乱に導き、県益を国益を損なわせた、故翁長知事の罪はあまりに大きい。また、翁長氏の死を弔い合戦として知事選に利用している姿はあまりに醜い。
今回は、沖縄の常識と、判断を問われる選挙でもある、
広域的な視野を持ち、判断すれば、おのずと、どちらが良いかわかるはずである。
なお、もし玉木デニー氏が勝利すれば、
沖縄は、依然として普天間基地の危険除去はされないし、普天間基地は米軍によって固定化されるのだ。また、政府との対立は、継続し、県政は乱れることになる。もちろん、県益は損ない、停滞期に入る。普天間基地の問題は、すでに21年近く問題になり危険除去は革新系の県政により、そのままとなる。







 

輝ちゃん おはようございます。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月19日(水)09時54分26秒
返信・引用
  このところ、
日本各地が、ほんとに異常なくらい、自然災害に見舞われていますし、
天候自体も異常です。
また、地震は、もはや日本のどこにいても見舞われる状態になりましたよね。
結局
どこに住んでも、安心なところはなくなりましたよね。
こうなると、
自己防衛をしなければいけませんよね。

ああ、なんか世の終わりの時が近づいてきているみたいにさえ感じますよ。

それから、
今年になって、たくさんの人たちが天に召されましたね、
気骨のある人ばかりが、いなくなりました。
残念です。
 

教会を引退する牧師は潔く。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月19日(水)09時47分1秒
返信・引用
  『安室奈美恵さんのように潔く。』

長くおられた教会から引退をされる牧師様は
昨今の安室奈美恵さんのように
潔く教会を去られる方がいいと思います。
教会を私物化して、
牧師の家族に、継承させたり、
また、
引退の後も、教会に影響力を保持したり、
何らかの役割を与えられ居残るのは、
教会のためには、よろしくないと考えます。
新しい葡萄酒は、新しい革袋がいいのです。
このような教会をいくつか知っておりますが、
やはり、教会の一族支配の温床となります。
教会の私物化ともなります。
先代の引退後は、
できるなら、
他から、新しい牧師を迎えるほうがいいと思います。
何故かと申しますと
先代牧師に関係の深い、古参の信徒までもが、
いつまでも教会運営の運営や、
方針に口を出し続けるからです、
それは、新任牧師にとって、
壁となって立ちふさがりますし、
旧来のやり方に、徹するからですし、
教会にせっかく新風が吹き込まれても、
古参の信徒によって、その火がかき消されるからです。
また、
物事の承諾なども、なかなか進みませんし、
改善点なども、かき消されてしまいます。
だから、引退される時は、
潔く、新たな後進に道を譲りたいもいのです。
世においては、
創業者一族から 会社は手を離れて
飛躍しているところが多いのです。
それから、
信仰上もいいと思っています。
一人の牧師を慕うのはいいのですが、
その一人を 教会のために尽くしたからと言って、
何らかの役職に、残そうとする気持ちは理解できますが、
それをやはり 断ち切るべきだと思います。
牧師を神のごとくに扱ってしまわないようにね。

牧師自体も、引退となると、
教会に対する思い入れも相当なものです、
ましてや、
開拓した教会となれば
そこを去るのはつらいと思いますが、
その教会の更なる発展を考えるとき、
やはり、潔く、教会を去るか、
役職を持たないことだと思います。
次世代に、ゆだねることですよね。
 

台風、地震

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 9月 8日(土)23時02分29秒
返信・引用
  洋ちゃん  こんばんは。(>_<)

宇治に引っ越して40年。初めてのおおきな台風でしたよ。
少しそれてますが、それでも凄い!ゴーゴーとすさまじく
トユや瓦も数枚飛びました。ポストが飛んでる家もあったの。
大阪や神戸はもっと強かったです。

関空が、、、えらい事ですね。

北海道が大変!千歳空港の近くでしょ。あんなに山崩れとは。
火山帯ですからね。被災に会われた方、お見舞い申しあげます。

札幌も震度6弱の所もあったとか。はぐれさん、大丈夫ですか?

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

はぐれ羊さんへ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月 6日(木)13時01分53秒
返信・引用
  はぐれ羊さん、介護の仕事から帰ってきたところですが、



ほんとにびっくりしました。





台風もですが、この地震の方が、はぐれさんたちにとっては、脅威だったと思います。



大きく揺れたと思いますが、被害はなかったですか



夜が明けてくると、その被害の様子が明らかになってきていますが、



多くの方たちが行方不明になられているようですね、



ほんと、重ね重ね、自然災害の猛威にさらされて 気の毒としか言いようがありません。



はぐれさんくれぐれも用心してくださいね。
 

台風21号

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月 4日(火)21時26分6秒
返信・引用
  輝ちゃん 台風21号の 被害はなかったでしょうか?

とても心配しています。

大きな台風ということで、風も波も強いとのこと。

被害の無いことを 祈ります。

今回の台風は、幸いにも、沖縄をそれて 安心したのですが、

進行方向を見ると、四国、近畿、東北がかかっていて ほんとに心配しました。


 

ある本より

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 9月 3日(月)13時52分54秒
返信・引用
  ーある本よりー

人のすることには非難がつきものです。

迷惑をかけてしまうような悪行でなく

善行であるかぎり

自分が信じたことをやるべきです。

天才アインシュタインは、

「バカを試みる者だけが、不可能を可能にできる」

と語っています。

正しいことでも周りの無理解から

バカを試みる者と非難されることもあるでしょう。

周囲の非難ばかりを気にしてると

何も出来ずに人生が終わってしまいます。

何事も最初から判断を誤らず成功することは

誰でも難しいことです。

失敗は成功の礎ですから、

周りの非難を恐れず、

強い決定心を持ち、

人生を有意義に過ごしたいものです。

信念を貫き通すには、

不安や恐怖がつきまとってきますので、

いつも冷静な判断ができるように

瞑想で心を冷静に保つことが

とても大切になります。

.

「沈黙している者も非難され、

多く語る者も非難され、

すこしく語る者も非難される。

世に非難されない者はいない。」






 

徒然なるままに。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月26日(日)21時23分14秒
返信・引用
  私は、人間について考える時、なんと多様に創造主は造られたのかと思います。人が争うということを知らないままに、なぜ創造されなかったのかとね。小さくは人間関係とか、大きくは国と国の対立とか、これらのものがそうであれば、無かったのかもしれないと思う。もちろん、人間に与えられた、自由意志と、選択の自由がその根源であることは理解しているが、なにゆえに 創造主はここまで、許してあられるのかと思ったことがある。そのことによって、人間は平和というものを求めなくてはいけないようになり、果てはそれは、不可能な事態にまで、追い込んだ。人間の歴史とは、戦いの歴史でもあった。聖書の時代から、それは続いて、神は、いつしか戦いの神とも呼ばれるようになった。神様にミスはないと思うが、何か違っているように思う時もある。壮大な、神の御計画の中で、小さな存在である私達が、うごめいているんよね。神は、最善にして、最善なる方だ、だから、最善以下は、用意されないとはわかっているが、なんとも不思議だ。私だったら、創造の時からこうするのになという計画もあるが、神の計画は、人間より、高いというから、この私では、理解不能だ。
 

最近感じること。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月26日(日)10時46分52秒
返信・引用
  『最近感じること』
私は昭和28年生まれなんですが、このごろ生活のあらゆるシーンや、仕事で、若いときのような、スピーディさや、キレが無くなってきていることを自覚しています。もしこれが、組織などに勤めていたら、若い人たちの妨げになるのではないかと思いつつ、また、あと何年仕事が可能なのかなとか思いつつ暮らしています。妻は、私がいるから大丈夫よと言ってくれて、頑張っていますが、歳をとっているのが体の変化で自覚できるようになりましたよ。自分は このごろは暗記することが得意ではなくなりました。車の運転も、若いころは、きれきれでしたが、今や、追い抜かれっぱなしです。気がついたら、車の列の後ろにいます。まっ、若い人と比べること自体に、無理がありますが、でも、やはり、何か寂しいですね。変なプライドを持つなと書きつつ、持っているのは案外自分かもね。私が、パソコンを駆使するのも、頭は、最低限、すっきりはっきりしていたいからです。だから、長文も、意外と苦になりません。まっ、こんな調子です。見かけは若作りですけど、中身は、それなりに老化していますよ。私の車は、中古車ですが、ピカピカにして、メンテナンスも人一倍しています。でも、11万キロ走破しているんですよ。その愛車と同じ私です。
 

アーサー牧師のメッセージ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月26日(日)10時36分0秒
返信・引用
  アーサーホーランド牧師の記事をシェアーさせていただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『EYE OF THE TYPHOON』
(台風の目)

「問題の只中にあっても
祝福が与えられていることを
忘れない様に…」

くよくよすることはない…
あなたの存在価値は
変わることはない。

くさることはない…
試練はあなたの魅力を更に
増すためにある。

くるしみはあなたを
支配することはできない。

影が光を暗示する様に
苦しみは喜びへの
道しるべに過ぎない。

深く悲しんだ人ほど、
強く喜ぶことができる。
沢山、涙を流した人ほど
多く笑うことができる。

思い通りにならないのが
人生である。
また、自分の思い通りになることが
本当の幸福ではない。

金持ちになることや、成功すること…
健康であることや有名になること…
人それぞれが自分の中に
思いを寄せている幸福感がある。

THE BIBLEには
「人はみな草のよう…
その栄光は野の花のよう…
風か吹くと、それはもはやない…
その場所すら覚えていない…
人は、たとえ全世界を手に入れても、
まことのいのちを損じたら、
何の得がありましょう。」
とある。

幸福は状況によって変わっても、
祝福は台風の目の様に
どんな荒れ狂う問題の只中にあっても
変わることなく与えられている。

魂のロッカーJESUSは
「わたしはあなたに平安を与える。
わたしが与える平安は
世のものとは違う…」
と謳っている。

今、あなたが抱えている
悩みや苦しみは、
あなたが祝福されていることに
気づかせてくれるためにあることを
忘れない様に…

今日という日があなたにとって
あわれみと恵みに
包まれる日となります様に…

『変わってしまう幸福より、
いつまでも変わらない祝福を得よ』

アーサー・ホーランド






 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月26日(日)10時31分43秒
返信・引用
  「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。」

            聖書 詩篇121:1
日常生活のなかで、様々な問題に没頭して自分の行く手が見えず、袋小路にはまってしまう時、あなたはどこに助けを求めるでしょうか。詩篇の記者は「山」に向かって目をあげると語っています。天地の創造者に思いを向ける。全能者である神様の助けがあることに心をとめるとき、行き詰った状況から抜け出すことができます。また、「山」は主の臨在である「シオンの山」でしょう。主を礼拝するとき、助けを受けることが出来ます。
 

台風

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月26日(日)10時30分4秒
返信・引用
  輝ちゃんこんにちわ。

台風の事なんだけど、

今回沖縄は、いくつかの台風に見舞われましたが


風中心の台風で、雨量は大したことはありませんでした。

でも、沖縄の水不足は、解消いたしましたよ。


いくつか目の台風は、覚悟してたら、なんてことはない、ささやかな台風でした。

しかし、その後の全国の様子を見ると、多大な被害を出していましたよね。

まだまだ、台風は来るかもしれませんが、被害が少なくて済むようであってほしいです。

京都方面は、どんなだったのかな、

宇治川とか あるしね。それも気にかかりました。
 

お盆に想ったこと。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月26日(日)10時22分55秒
返信・引用
  “Be Not Conformed To This World”.
『この世と調子を合わせてはいけません』と言いますが。

お盆の時、キリスト者は特に気を使いますよね。
心の中で、他の信仰とのせめぎあいが発生するからです。
厳格なキリスト者の方たちは、
その事柄に、一切 関与するなと言います。
クリスチャン家庭や、クリスチャン家族なら、
それは、たやすい事でしょう。当然でしょう。
しかし、
私を含め、
家族の中で、キリスト者は自分だけという場合があります。
この人たちは、
仏教やその他の先祖伝来の信仰を持っていることがあります。
そこで、祖先や、家族の信仰を、
自分がキリスト者として、忠実にあろうとして、
それらから遠ざかろうとしますよね。
私もそうでした、
しかし、
その時思いましたね、
自分がキリスト教信仰を持ったからと言って、
家族の信仰を無視し、否定し、
仏壇は廃棄せよ、
そんな家族とのかかわりは、絶てと言えるでしょうか?
聖書に書かれていることは、
「この世と調子を合わせるな」
「私のためにあなた方は憎まれる」
など、ありますが、
では、キリスト教界に、お尋ねしますが、
そもそも キリスト教界が聖書に忠実ですか?
世と、調子を合わせ、変化をしていることがありませんか?
それを言うのであれば、
それらも、一切 認めてはいけないということになります。
私が言うのは、
偶像礼拝をしない、神は一つ、これは、当然のことです。
キリスト信仰の基軸です。
ただね、それは、己が選択したものですから、
己の時代が到来した時に、
家族とは別に、実行すればいいのです。
親が先祖伝来の虚しい神々を信じていたとしても、
それは、尊重してあげるべきことなのです。
その親が、キリスト教に変わりたいと願えば、
その時、そうしてあげればいいだけの事ですし、
そうするためにも、虚しい神々の中で、
素晴らしい証をしていけばいいのですよね。
虚しい信仰の中にあっても、
自己の心の中に、
イエス.キリストが、脈々としっかりとあるのなら、
赦される範囲で、
このお盆とか、葬儀に かかわればいいのです。
それこそが、キリスト教の伝道にもつながります。
このように、否定することばかりではなく、
肯定できるファクターも存在するのです。
要は、自分次第というわけです。
そこにかかわって、信仰を失う程度の人なら、
関わりなさんなということです。
ちなみに、
私が元いました ?ものみの塔?というところは、絶対にかかわらないことを教団の命令として発していました。
その結果、
私達が知る エホバ信徒の家族が、その信徒を連れ戻しに来て、大変なことになったことが何回もあります。
教団も、信用を失墜したのです。
どうですか、
キリスト教正統派も、このようになりたいのでしょうかね。
私達の信仰は、私達以後の世代に、かかっています、
家族がキリスト教への理解を示すためにも、
その信仰を尊重するという方向は、考えられませんか?
異論は数々あるかもしれませんが、
私個人は、そう思います。

参考までに

私達の信ずる唯一の全知全能なる神は、創造主は
他の虚しい神々と、その信徒の存在を許してあります
イスラム教、仏教、その他も。。。。。
そして、その全知全能の神は、
全てのその上に位置する神なのです。
私達の唯一なる神は、そのように、大きくて、寛大なのです。



 

礼拝

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 8月26日(日)08時49分59秒
返信・引用
  洋ちゃん おはようございます。(*^-^*)


よく台風が来ましたね。20号は風速40m位だったかも?
今の家は南方に家があって、避けられるのでまだましです。
沖縄は通り道で皆さん、風よけというか、家を低く作って
ますね。

元気でね。バ~い。

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月20日(月)10時50分55秒
返信・引用
  与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」

               聖書 ルカ6:38


人は握ったものは手放さないように、持っているものは減らさないようにしようと保守的になります。それでは信仰に立つことができません。イエス様は私たちに与えなさい、空にしなさいと勧めます。そうすれば満たされ、溢れるようになるからです。神様は必ず報いてくださいます。
 

当たっているかも。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月13日(月)14時19分4秒
返信・引用
  『ある教派に見る特徴的な性格。』

私は、「ある教派に見る特徴的な性格」の事を書いてある本を読みました。

どことは言いませんが、こんなことを書いてありました。

権威への服従を嫌い、

個人の良心自由を大事にし、

他人の信仰に干渉しない、

自分を相対的に眺め、少数派の立場になって考える、

信仰者としては、あくまでイエスを師とする道を歩むが、

他宗教の信者には、そこに救いの道のあることを認め、

共に神の愛のもとに生きる者として、尊重する。

もちろん、不可知論者や無神論者への偏見もない。

はっきり言って、

その教派は私が好む教派ではありませんが、

なんか 近いものを感じて、ぞっとしています。

この例の中で、

いくつか そうかいなというものもありますが、

当たらずしも遠からじです。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月10日(金)20時41分52秒
返信・引用
  「わたしは命のパンである。」

    聖書 ヨハネ6:48
イエス様はご自分のことを「パン」にたとえておられます。しかも、普通のパンではなく、「命」のパン、命を与え、豊かにするパンだというのです。神の民が荒野を旅していたとき、日々に天からのパン、マナによって養われました。私たちもこの世という荒野を旅していますから、天からのパンを食べなければ餓死します。今は飽食の時代と言われるほど、食物に溢れていますが、大切な命を与えるパン、イエス様を食べなければ命が枯れます。それはみことばを食べることです。
 

こんばんわ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月10日(金)20時38分2秒
返信・引用 編集済
  輝ちゃん  こんばんわ。

沖縄は、台風が、 接近しているので、なんとなく、風が強まってきています。

でも、全国各地、豪雨被害で大変なことになっていますよね。

それを思えば、まだいいほうです。

輝ちゃんの地区は、大丈夫でしたか?

人によっては、明日の住まいもなくなり、途方に暮れている形がいますよね。

高齢になっていれば、それこそ大変で、不安でしょうね。

そうそう、目の方は、どんなですか、

普通見るのに差し支えない程度だったら ええけどね。

完治は難しいけど、そこそこ治ればいいねと思ってますよ。

それから、妻も新しい職場で、老人施設でのレクチャーを任せられて、

初めてだったので少し、滑ったとのことです。

でも、失敗しても、一生懸命していれば、それでいいと思っていますよ。

先月は、私達にとって、激変の月でした。

でも 主の十字架を見上げて歩んでいこうと思っていますよ。

下の十字架は、妻の職場の十字架です。白くて大きいですよ。


 

台風

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 8月10日(金)18時19分31秒
返信・引用
  洋ちゃん こんばんは。(*^-^*)

元気ですか? 麦さんも元気で新しい職場ですごして
られますか?私も何とか元気。眼は鬱陶しくてなかなか
来れないけど。

台風がよく来るでしょ。夏には日本に上陸はなかった
けど、変わりましたね。もう終末かな、、、なんて。
洋ちゃんは若いわ!40~50代みたいよ。この前、
教会で牧師と皆さんで言ってたのですが、クリスチャンは
若い。なぜ?聖霊によるんだと。年配の婦人がアーメンと
言われて’笑)

沖縄は蓮の花は咲いてますか?余り見ないでしょうか。
近くの蓮をハリコです。

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

いい天気なので。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月 7日(火)19時47分57秒
返信・引用
  ジーパンの厚いデニムのタイプを買ったのですが、それを洗濯して干そうと思ったら、100円ハンガーが、耐えられずに、曲がってしまった。それでも、根性で干しました。厚手のジーンズは、履きづらいので買わないほうがいいですよ、それから、今日はいい天気なので、洗濯終了後は、ベランダの植木に殺虫剤をきまました。まくといっても、園芸用の、ポンプ式の霧状のスプレーを使ってです。この時期、いろいろな虫が発生するので、そのためです。
 

信仰

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月 1日(水)21時11分38秒
返信・引用
  私は 信仰の歩みを振り返る時、
当初 誰もが通るのであろうけど、
聖書知識を獲得することに情熱を燃やしていました、
その為
たくさんの聖書に関連した本を読みあさりました。
そして、
聖会というもの 勉強会というものに 何回も行って、
少しでも、知識を得ようとしていました、
それは、信仰というより勉強をしている感じでした
信仰を信仰として受け取らず、
聖書を知識によって認識し、
それを実証主義と認証主義で 理解していました。
そして、
クリスチャンのネットグループで、
キリスト教のことで、論争に明け暮れていました、
そして論破した時は、勝利に酔っていましたが、
その後味の悪さと 虚しさに、それらのことから、撤退しました。
討論は決して悪くはありませんが、
結果、討論した相手を傷つけてしまうのです。
まあ キリスト教の信仰を持った当初はこんな感じでいました。
若かったですね、
それから、男性信徒に多い傾向ですが、
聖書をを知識として、認識しないと 受け入れない傾向があります。
女性は だいたいの方が、素直にそれを受け取りますので、
教会には、女性が 多いのです。
男性は、プライドが 信仰を阻害するという やっかいな生き物です。
また、年齢が若いころは、その聖書知識をひけらかす傾向もあります
年齢を重ねると 信仰は 聖書知識はある程度 必要てすが、
それだけでないことに気が付きます。
聖書知識を 上回るものが、あることに 気が付かされます。
聖書には知識の大切なことも書かれてある通り
それはそれで必要なのですが、
これが過度になりますと、信仰の邪魔になるから、不思議です。
また、
教会というところも、
信仰の向上を目指して、
聖書知識を教えることに、躍起になっていますが、
それは、信仰モンスターを 製造してしまうことにもなっています。
変な牧師よりも、よほど聖書知識も上回っていて
そのために 性格的 情緒的 偏重者を生み出しています。
こういっては何ですが、
聖書知識は、ある程度でいいんです。
聖書はその人が感じるままに、受け取ればいいのです、
読むごとに疑問がわけば
パソコンで言えば、アップデートですか、それでいいのです。
余計な知識まで持ってしまうと、
知識は人を高ぶらせると聖書に書いてあるように、
私の信仰のレベルは、君たち信徒とは違うのだと言わんばかりに、
傲慢になっていきます。
信仰は、幼子のように、純粋に、素直に受け取ればいいのです。
神学的なことは、その専門の方たちに任せて、
シンプルな信仰を守ることが一番だと思います。
聖書を知識として捉えるよりは、
聖書を心で読んで、受け止めたほうがいいと 私は思っています。
 

個人を大切にできることが一番。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 8月 1日(水)21時07分54秒
返信・引用
  『大型教会を目指すより、個人重視へ。』

私は、教会を考えるに、
教会指導者は、その規模の拡大を目指してきました。
そして、それが良い事のように言われていました。
しかし、そうなると、組織維持、教会維持に、奔走し、
信徒 個人個人を顧みらなくなる傾向が出てまいります。
あるキリスト教の対談で、
指導者が組織と個人はどちらが大切ですかと聞かれた時、
迷わず組織ですと言われた。
一信徒より、教会組織のほうが大切なのかと思った次第です。
組織共同体である、教会は、
拡大路線をとる限り、個々の教会の信徒に、対応できなくなっていますよね。
もっと、目配り、心配りをするべきです。
それから、
私が言う、教会の理想は、簡単なことです。
『盛らない、ありのままに。』ということです。
ことさらに、教会は、証などで、必要以上に盛りますが、
ありのままで、そのままで、
主を賛美するだけでいいと思っています。
良い事、成就したことばかりに、誇張して、話すより、
失敗したことや、挫折したことも正直に語り、
自然体の中で、主を賛美すればいいだけの事です。
また、牧師に、完全を求めているわけではありません、
メッセージが苦手な牧師は、ありのまま語ればいいのです、ただ、一生懸命さと、謙虚さがあれば、
信徒は、理解してくれますからね。
そして、信徒に対する配慮です、
少しの心遣いが喜ばれるものです。
それから、教会には、必ず名手足る人がおられますが、
社会的地位に、こだわって、名声にこだわって、
その方たちばかりに、目を止めないことです。
何気ない小さな方たちとの交流こそが、
教会を成長させます。
結論として、
教会の拡大よりも、個々を大切にすれば、
いろいろな諸問題は、減少するということです。
組織を拡大すれば、
諸経費も多くなり、経済優先に、なり、
結果、
教会を支える人たちばかり、
高額献金者ばかりが尊重されるという、
変則的な体制となります。
また、
教会指導者は、名誉を求めないことです。
教会指導者は、なにゆえか、名誉欲が貪欲すぎます。
これは、悪しきことです。
それから
教会の大型化は 教会に負のスパイラルをもたらし、
何もいいことはありません。
信徒の数は、牧師が対応できるだけの数にすることです。
一人一人を 覚えられる数に、すればいいのです。
伝道を盾に 自己の名誉欲のために、大型化をすると、そのつけは、大きくなって、帰ってきます。
大型化が良い事であるという神話に乗らないことです。
それは、今までやってきた手法で、
日本に適用するのは、不向きです。
私はそう思います。

とにかくナチュラルな教会がいい。
 

ハウスチャーチ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月29日(日)18時13分48秒
返信・引用 編集済
  『12弟子を呼び、二人ずつ遣わし始め........』マルコ6章7~9節

これは、いうなれば、教会の基本です。

そして、献身の基本です。

教会は、決して、規模とか、信徒の数ではありません。

伝道の原点もここにあります。

昨今、『ハウスチャーチ』が増加のようですが、

●二人でも三人でも、私の名において集まるところには、私もその中にいるからです。

    聖書 マタイ 18章20節

が示すように、伝道も二人から、教会(人の集まり)も二人から始まります。

聖書にもあります。

『恐れるな 小さき群れよ。』

●小さな群れよ。恐れることはありません。あなた方の父である神は、喜んであなた方に御国をお与えになるからです。

        聖書 ルカ 12章32節
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月24日(火)21時02分53秒
返信・引用
  聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

           聖書 第二テモテ 3:16
 

道の光

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月24日(火)10時18分1秒
返信・引用
  『人にはできないことが、神にはできるのです。』

       聖書 ルカの福音書 18:27

信仰とは常に神を計算に入れてものを考えることを言います。
信仰のない人はいつでも自分を基礎にしてものを考え、
人間の能力で事をはかります。
できるとか、できないとか言うときは、
人間にできるかできないかを言っているのです。
そして
それ以上の事を考えようとは致しません。
しかし
イエス様は人間の力の及ばない所に働く力があると仰せられました。
それは 神の力であります。
「人にはできないことも、神にはできる」というのが
本日の聖句の意味です。
どんなことの中にも、失望しないで神を見上げて立ち上がりましょう。
人間にはできなくても 神には不可能はないのです。

●神にあって大事を計画せよ。
●あなた方の言葉が、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしな さい。(コロサイ 4:6)

《お祈り》

天の父なる神様
ともすれば 心が弱くなりやすい私共に、
もう一度、神様を計算の中に入れよ、と教えてくださいまして
感謝いたします。
信じて進みます。

聖名によって お祈りいたします。

アーメン

ーみちの光ー
 

こんばんわ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月19日(木)22時04分25秒
返信・引用
  輝ちゃん こんばんわ。

全国雨の被害すごかったですよね。

日本全国、どこにいても 安心できるところはないという感じです。

それから、テレビで、京都が39.8度と言っていましたよ、

猛烈な暑さですよね。

熱中症にならないように、エアコン回して、水分の補給してくださいよ。


それから、沖縄は、またまた、台風が来ています。

土曜日あたり 最接近します。どうなることやら。


それからね、はぐれ羊さん、息子さんが独立して、別居したそうです。

それで、やはり 寂しいと言っておられましたよ。

みんなそれぞれに、いろいろあるな。

それから私の妻は、新しい職場の キリスト教系の病院に、

7月1日から務めていて、環境が目まぐるしく変わりました。
 

こんばんは。

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 7月 9日(月)18時49分11秒
返信・引用
  大雨でした。でも前の宇治の水害よりはましでしたが、

帯状で被害合われた方にはお見舞いを申しあげます。
宇治市は大丈夫でした。嵯峨の渡月橋や
鴨川はどうなるかと。
日本全国何が起きるやら。 洋ちゃん元気でね。.


http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

これが沖縄ですか?

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月 9日(月)14時32分48秒
返信・引用
  『辺野古埋め立てに賛成してても、署名だけ下さいってなに。』

お昼過ぎに、買い物をしていると、店の前に、一人の中年の女性が立っていて、辺野古の埋め立て反対の署名を求めてきた。ねっ、埋め立てに反対するのは、沖縄県民なら、誰でもそうしますし、沖縄の民意ですからねと、あたかも当然のように話してきた。私はとっさに関わりたくないので、私は、辺野古の埋め立てに賛成していますというと、その女性は、そうなのと顔が一変した、あきれたのは、その後である、賛成してても署名して下さると来た。私は、何気ないこの署名を求める行動から、沖縄の同調圧力を感じた。まず、反対するのは、当然だと言わんばかりの態度、また、主張に対するポリシーの無さ 賛成派の私にも署名して下さるとは何たること、数さえ集めればいいのか? それで、腹が立ってきて、この女性に なぜ賛成するのかを語ってあげようとすると、妻が、反対派に何を言っても、聞く耳は持たないから、行きましょうと言ってきたので論議することはやめた。そもそも 反対派は、普天間基地の周辺に住む人たちの事を何も考えていない、普天間基地の危険除去するために、政府は、辺野古に普天間基地機能を集約するために、埋め立てるのであって、反対派は21年も妨害してきて、危うく、米軍が、普天間基地を固定化する寸前だったのです。はっきり言えば、居座る状態です。ここまで、反対派は、辺野古への移転を妨害したのです。そして、辺野古のある名護市長選では、名護の市民は、賛成派の知事を当選させ、民意は決まっているのに、沖縄の民意は、全て辺野古埋め立て反対と来るから、なんと、無知なことかと思いました。辺野古埋め立てに至ったのは、海に面していて、しかも ここには米軍基地はありましたので、拡張するために、埋め立てているのです。反対派は、あたかも新基地を作っているイメージを作るために、新基地反対と上乗せして、印象操作をしているんですよ。さらには、普天間基地より、大幅に縮小されるのですから、沖縄にとって、ベストな解決策なのです。まっ、このように、言いたかったのですが、反対派の人は、聞く耳持ちませんから、何を言っても無駄でしょう。それが沖縄の現状ですね。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月 9日(月)10時55分9秒
返信・引用
  「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」

          聖書 箴言17:1


『衣食足りて礼節を知る』と昔は言われたものです。豊かになれば、人はみな穏やかになり、平和になると思われましたが、今やあり余るほどのものに囲まれながら、争い、不平、無気力がはびこっています。全てのものの根源であり、供給者である神様を忘れた結果です。小さなことから、大きなことに至るまで、全てが神様の恵みによることを認めて、喜びに溢れて感謝する者となるならば、「かわいたパン」も山海の珍味となるでしょう。
 

7月8日 今日は夕拝

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 7月 9日(月)10時52分48秒
返信・引用
  今日は、夕拝に具志堅正人さんと妻の具志堅昭子さんが主宰する沖縄グレイス.ワーシップチャーチに行きました。とても元気なワーシップでしたよ。メッセージもしっかりしててよかったです。精霊にも満たされましたよ、(*^_^*)
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月28日(木)20時25分53秒
返信・引用
  「わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。」

          聖書 申命記30:19bc


神様の救のみわざはイエス様の十字架によって完成しています。それに付け加えるものはなにもありません。ただ選択と決断が私たちに委ねられています。事の大小を問わず、すべてのことには「命と死」「祝福とのろい」のいずれかを選び、決断することです。神様が私たちを滅ぼされるのではなく、自分が死とのろいを選ぶからです。どうぞ命を選んでください。
 

互いに愛し合いましょう。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月26日(火)18時34分6秒
返信・引用
  『互いに愛し合いましょう。』


聖書に ありますよね。大切な戒めの一つですが、皆さんは、できていますか?「はい」と言えたら 立派なものです。大抵のキリスト者には多かれ少なかれ、心の中に、嫌いな人、嫌悪感がある人が幾人かいるはずです。それを顔に出さずに、敬虔に接していられるのだと思います。失礼なことを述べて誠にすいません、しかしながら、むしの好かないタイプもいて、どう取り扱っていいいものか 迷う時がありますよね。フェイスブック内でも、同じキリスト者がかんかんがくがくやっています。それを見るにつけ、定番の表現ですが、人間とは弱い欠けた存在だなと思う次第です。聖書を学びながら、なぜ憎しみ合うのか、聖書の学びで何を学んでいるのかと思います。キリスト者でもジョークは言いますし、面白おかしく言います、それをことごとく否定し、その場の雰囲気を一変させたりしますよね。生理的に嫌悪感がある人もいるとは思います、人間ですから、致し方ありません、キリスト者だって、嫌いなものは嫌いです。ただ、そうであっても、世の人たちとは、対処は違えてほしいと願います。嫌いな人がいるときは、その人の中に、神様がおられると思うことです。そうすると、接し方も、変わるでしょう。これは、カトリックのシスターの渡辺和子さんも言われていました。嫌いな人を無理に好きにならなくても、結構。できないものはできないのですから。でも、嫌いな人にも、柔らかな対応をしましょう。私達は、優等生ぶらなくても結構なんです。形だけとは、悲しすぎますからね。人を嫌いになるのも 嫌われるのも、考えれば、一つの防護的生き方なのですから。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月25日(月)20時51分36秒
返信・引用
  「ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。」

           聖書 ヨハネ13:30


最後の晩餐といわれる過越しの食事の席で、イエス様は自分を裏切る者がいると公言されました。そのうえでユダに食物を与えて、裏切るものが彼であると指摘したのです。彼は名指しされると、すぐにその場を離れ出て行きました。まさにアダムとエバが主の顔を避けて茂みに身を隠す如く、ユダは夜の闇へと消えていきます。これはユダの話ではなく、光よりも闇を愛した私たちのことです。しかし、主の死はそのためです。ただ只、感謝!
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月23日(土)22時41分42秒
返信・引用
  「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。」

                聖書 詩篇90:3


伝道の書には「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」と語られています。いずれにしても、人の命は神様によって決定されるのであって、たとえ瀕死の病にあろうと人の死は病気によるのではなく、神様の手によるのです。それまで人は決して死ぬことはありません。反対に主が「帰れ」と呼ばれたら、何をしても逆らうことはできません。だから生まれる時、死ぬときは誰にも分らないのです。
 

土曜日の朝に

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月23日(土)08時05分0秒
返信・引用
  今日は昨日 サイダーを飲んだこともあり(お酒じゃないよ)、目がさえて 早朝から起床しました。

私は、時折、そんな時、主に示されることが多々あります。

このことは提起しようとか、このことを深く掘り下げて話してみようとか、気になった聖句を取り上げようとかね。

人それぞれに、感じることは違うのであろうが、私は、なにか突き動かされるような気持ちになります。

そして、

思い立ったら吉日、それを忘れないうちに書き込むようにしています。

時折、焦って失敗することも正直ありますが、

直感を 主の導きと信じ書き込みに励みます。

書き込みには、やはり人それぞれですから、

反対意見もありますし、気分の良くない方たちもおられます、ただね それを思いやるのもいいのですが、

それをしすぎては、

思い切ったことや、隠されたことは、書けないのです。

時に苦々しく書き、時にやさしく寛容さをもって書きます。

こんなことをキリスト者ともあろう者が、書くなんてと思われる方がおられると思います。

しかし、

では、それを取り上げないことが、ほんとにいいのかというと、これも疑問です。

まっ、いつも 楽しく和気あいあいと書けばいいのでしょうが、私は、それは否定しませんが、それと相反することも取り上げます。

今朝は、何か、このような心音で書き込んでいるということを皆様に知っていただきたいと思いました。

沖縄の今朝は快晴です、そして心も快晴です。

それでは、皆さん 今日も一日 頑張りましょうね。(*^_^*)
 

使い残さないで、祈りも止めよう。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月22日(金)11時32分34秒
返信・引用
  『使い残された祝福。』

聖書の中には、祝福を貪欲に 求めなさいとあります。

「天の御国は、激しく打ち叩く者が、それを得る。」と言います。
また
「何事でも、願い求めるものは、聞き届けられたと思いなさい。」
ともあります。

私たちは、
生きている間、神様が天の御国に用意してくださった、
それぞれの祝福を ある人は、使い切らないままに、
天の御国に来て、それを見て 驚くそうです。
神様が、せっかく用意してくださった祝福を、
地上にいる間、使い切れていなかったというわけです。

そうならないためにも、
願い求めることは、人に何と言われようが、
激しくそれを 求めようではありませんか。

貪欲に求めることを 悪いことのように言う方がおられますが、
神様は、
むしろ、貪欲に、熱心に求められる人のことを好まれるのです。
 

輝ちゃんへ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月21日(木)21時55分59秒
返信・引用
  輝ちゃん こんばんわ、

目のほうが悪化したそうで、用心してくださいよ。
目は、情報器官として一番大切ですからね。

それから、地震は、驚かれたと思います。ニュースを見ていても、
走っている車が、大きく揺れていました。
それから、すでに何人か亡くなられてありますよね。
神戸の地震を経験した方は、生きた心地はしなかったようですよ。
しかし、日本のどこに住んでも、安全なところなんかなくなりましたし、
地震そのものの規模が大きくなってきていますよね。
こんな時は、変なうわさが飛び交いますから、用心してくださいね。
それから、私は、輝ちゃんのところのブログを 毎日の聖書として、
編集して、使っています。

毎日の御言葉に、本当に感謝しております。
たくさんの人たちが、見ておられますからね。(*^。^*)ありがとう☆彡




 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月21日(木)21時44分41秒
返信・引用
  「さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。」

               聖書 ルツ記 1:1


エリメレク一家は飢きんによって、「ユダのベツレヘム」を去りました。これが不幸の始まりです。彼らは神様の祝福の地を離れたのです。確かに飢きんは苦しい事でしょうが、そこに留まる人もいました。モアブの地で食糧は得ましたが多くのものを失いました。まさに信仰の試練のときです。あなたはどの道を選びますか。
 

こんにちは

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 6月21日(木)10時47分44秒
返信・引用
  洋ちゃん 大阪北部の地震には魂げ、ました。
南海トラフかと!台所にいたので食卓に隠れた。

地盤が固く感謝で全然被害はなかったです。
震度5か5弱。

私の眼が極端に悪化?それでブログは縮小。
これで信仰に入ったと思える人があり、また
洋ちゃん用いてくださるので、これも神様の御用。
頑張ります。

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

解説

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月20日(水)20時35分4秒
返信・引用
  進藤龍也牧師は、

もとヤクザで、回心し 悔い改められてから、

牧師になられました。刑務所にも、

その過去から、伝道に行かれてありますよ。
 

ダイレクトな言葉

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月20日(水)20時31分59秒
返信・引用
  進藤 龍也牧師

言っていることと、やってることが違う人のことを偽善者といい、言っていることと、やっていることが一致している人のことを誠実な人という。
 

勝利

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月19日(火)23時22分41秒
返信・引用
  ワールドカップの初戦

コロンビアに勝ちましたね。(*^_^*)

正直、あまり期待していませんでしたので、えっ、嘘って思いましたよ、☆彡
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月19日(火)20時21分51秒
返信・引用
  「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。」

               聖書 マタイ5・46


そりの合わない相手がいても、無視したりつっけんどんに遇したりせず、穏やかに対することができますように。
 

無関心

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月18日(月)17時04分5秒
返信・引用
  『人の各々が 他に何も関心を示さない時。』

良く、あなたはあなた、私は私と、
一見 合理的に見える思考があるよね。
では、
己が 己が、とそういう思考を持ったとしよう。
今さえよければいい、人の事など気にする必要はない、
人の事などかまう時間があるのなら、
自分をもっと磨けよ、もしくは、自分が楽しければいいと。聖書には、
他の人とかかわりを持つ大切さを、とうとうと教えている。
なぜなら、
そうすることが、良きサマリア人でもわかるように、
強盗に襲われた、異邦人にすら、関心を持って、
傷の手当てもしてあげられるのだ。
ここにおいて、
人とのかかわりの大切さと、
無関心でいてはいけないという
神の教えが結実するのである。
今、自分の信仰を維持するために、
他の教会員に、無関心な人たちがいる、
本人は それでよかろうが、
他の信徒から見れば、
恐ろしく、冷たい信徒と見えることだろう。
また、
教会に くしくも 初めて来訪した方たちには
どうそれが映るのであろうかと危惧する。
当世、
自己完結する世界かもしれないが、
教会は、人の心をある意味表現する場だ、
イエス様も言った、
行って同じようにしなさいと、
私共は、決して、無関心であってはならないのだ。
 

はぐれ羊さん

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月18日(月)10時29分16秒
返信・引用
  はぐれ羊さん 元気でいますか?

世の中いろい激変していますが、それとは関係なく、

平安に過ごしてくださいね。

沖縄は、台風が来て、結局 恵みの雨となりました。

今年は、早退して被害もなく、カラツユでしたので、

むしろ 沖縄の人たちは、歓迎している感がありました。

農業関係者の人には、今年は厳しかったので、ほんと恵みの雨となりましたが、

時すでに遅く、サトウキビなどや、野菜は、大半かれているようです。

農業は言い値というけど、自然任せなので、博打の様な面もありますね。

私の妻は、

7月2日新しい職場というか、キリスト教系の病院に初出勤となります。

祈っていてくださいね。
 

大阪の地震

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月18日(月)10時20分16秒
返信・引用
   輝ちゃん 大阪で地震があったみたいやけど、大丈夫でしたか?

遂に大阪まで地震が来ましたね、

なんか天変地異があまりにもたくさんありすぎて、異常ですよね。

九州の方でも山が噴火したりと大変でした。

輝ちゃんは、今日となので、大阪近辺に入りますよね、

ほんと用心してくださいね。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月18日(月)10時16分41秒
返信・引用
  「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。」

            聖書 マルコ11:23


力強い言葉ではないでしょうか。神様を信じる信仰に立って生きるとき、絶望、行き止まり、お先真っ暗とはなりません。いや、むしろ常に暗やみを押しのけ、明るい光を見つつ生きる生活です。どんなことも肯定的に受け取ることができるのです。祈りは神様の無限の力を引き出すカギです。
 

アーサーホーランド牧師のメッセージ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月16日(土)17時45分21秒
返信・引用
  アーサーホーランド牧師の記事をシェアーさせていただきました。
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『HONESTY』(正直であれ)

「逃げずに向き合えばいい。
 媚(こ)びずに正直であれ。」

遠回しに物事を言うことはない…
誰かに言われたので…
と口実を作ることもない…
己がやりたい故にやることだ…

やりたくないのに
やることが嫌なくせに、
それが言えなくて
誰かや何かの所為にするのは
野暮(やぼ)なことである。

面と向かって正直に言えないのは
恐れているからであり、臆する何かが
あなたの中に働いているからである。

それは誰かの所為と言うよりは
己の中にある屈折が
己を束縛しているからでもある。

拒否されることを恐れていては、
媚を売ってしまう…

魂のロッカーは
「真理はあなたを自由にする…」
と語っている。

然れど、己に対して
不真実に生きることは
己自身を不自由にすることでもある。

食べなくてもいい善悪の木の実を
取って食べたアダムは
エバが自分に食べる様に勧めた…
と人の所為にし、

エバは
「取って食べてもいい…」
と蛇(ヘビ)が誘惑したと語った。

THE BIBLEには
「もし、私たちが自分の罪を
 言い表すなら大いなる方は
真実で正しい方ですから、
その罪を許し、
すべての悪から私たちを
 清めてくださる」
とある。

また、
「心の清い者は幸いである。
 その人は神(大いなる存在)を見る」
とある。

今日という日が
あなたの全てを知っておられる方に
正直に向き合って行ける日と
なります様に…

『恐れることはない。
素直な気持ちを持って
問題と向き合えばいい』

アーサー・ホーランド
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月16日(土)17時42分19秒
返信・引用
  神は、知恵ある者をはずかしめる為に、この世の愚かな者を選び、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や、見下されてる者を、神は選ばれました。


   聖書 コリント人への手紙 第二 1章27-28節
 

こんにちわ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月16日(土)17時39分49秒
返信・引用
  輝ちゃん こんにちわ。

沖縄は、昨日今日、大雨と、大風に見舞われましたが、

不思議と、今回は、待ち望んでいたようなところもあります。

小雨程度では、ダムに水がたまらないからなんですよ。

ダムは、40パーセントしか、貯水してなくて、生活水から、農業用水まで、困るからです。

台風は、幸い、被害もなくて通り過ぎました。

目下、洗濯物がたまりましたので、こちらが大変です。

今日の昼から、やや、天気が持ち直しましたが、

まだまだ、ぐずつきそうですよ。

それから、日朝会談は、できましたが、結果を見てからでないと、なんとも言えませんが、

なんか、政治ショーの様子を呈していましたね。

輝ちゃんも、体気を付けて、

末永く、写真と、聖書の御言葉を提供してくださいね。

私のところの、愛読者は、それを毎日見ていますからね。
 

台風は?

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 6月15日(金)21時57分51秒
返信・引用
  洋ちゃん こんばんわ。(*^-^*)

台風が発生して災害の季節ですね。
今が沖縄を通過とか。大した事はなさそうですが。

米朝首脳会談があり、本当の平和が来たら良いけどね。
まぁ罪なる人間だから希望はどうかな?
先の事は解らんかな。

罪があるから、沖縄の人には辛いでしょうが、
辺野古移転も仕方ないでしょう。

アーサー師のメッセージいいですね。
今や私はメセージが1番の楽しみであります。

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

アーサーホーランド牧師のメッセージ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月11日(月)21時58分55秒
返信・引用
  アーサーホーランド牧師の記事をシェアーさせていただきました。
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『HEAVEN AND EARTH(天と地)』

『天と地がなければ
 人は存在しない…』

教会は建物ではない…
この宇宙、また自然界こそ、
教会なのである。

「天はわたしの王座…
 地はわたしの足台…」
とTHE BIBLEにある。

大空に夜空…
太陽の日差しに月や輝く星々…
また、ゆったりと浮かぶ雲たちは、
大いなる方の家の天井であり、
草原や砂漠…、大海原に大地は、
大いなる方の家の床なのだ…

鳥のさえずりに虫の音…
また、川のせせらぎに
岸辺に打ち寄せる波の音…
そして、風が
森や林を駆(か)け巡(めぐ)り、
木の葉たちが奏でる音色は、
大いなる方の家の賛美歌である。

「あなたはわたしのために、
 どの様な家を
 建てようとしているのか…
 天地万物はみな、
 私の御手(みて)が
 造ったではないか…」
と謳っている。

世の宗教の枠(わく)から
一歩踏み出すことである。
その時、あなたは
大いなる方の家の中に
すでにいる自分に
気づけるのかもしれない。

今日という日が、
もうすでにあなたのためにある
大いなる方の家の中にいる自分に
気づける日となります様に…

『建物の中よりも
 自然の中にこそ本質にふれられる』

アーサー・ホーランド
 

神の家族

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月11日(月)21時04分28秒
返信・引用
  『神の家族』


私達、キリスト者は神の家族とも言いますよね。
家族とは、
悪いことをしたりした時には、叱ったり致します。
また、
良い事をしたときは褒めますよね。
そのように、神の家族という以上、
その一人一人は、主にあっての家族なんです。
だから、
表面だけを見て褒めることばかりをしてはならないのです。時には、
叱咤激励も、苦々しいことも言うのです。
その対象が、たとえ 宗教指導者であろうともね。
それが本当の家族というものなのですよね。
指摘を裁かれているとしかとらえられないようなら、
それは、家族などではありません。
心配するから、指摘するのです、
子供が、わがままを言っている状態とか、
親の意見を聞かない時は、
家族であれば、注意するでしょう。
そのように考えることが大切です。
家族ならばこそ、注意するのです。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月10日(日)23時27分44秒
返信・引用
  「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」

           聖書 マタイ9:12


確かに、医者を必要とするのは病気の人です。自分が病んでいることを自覚し、治りたいと願う人が医者のところへ行きます。その自覚がない人は、いくら病んでいても医者を求めません。同様に、自分の罪を知り、弱さを認め、神様の救いを願わなければ、イエス様を求めません。自分を省みて、不安や恐れ、怒りやつぶやきなどに満たされているなら、平安と望み、愛と喜びを求めて、神様に帰ろうではありませんか。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月10日(日)21時26分17秒
返信・引用
  「あなたがたは、なにゆえ神のようにわたしを責め、わたしの肉をもって満足しないのか。」

             聖書 ヨブ19:22


不条理な苦しみに遭ったヨブのもとに、友人たちが慰め、励ましにきます。しかし、彼らの言葉はヨブにとって苦痛を増幅させるものにすぎません。彼らは自分を神のごときものとして、その義によってヨブを責め立てる結果になりました。私たちも彼らと同輩です。神様のように責める。これこそ人の心にある抜きがたい衝動です。また、このゆえに人間関係を不毛にし、この世を荒野にしているのです。
 

キリスト教界の二面性

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月 8日(金)22時16分33秒
返信・引用
  『キリスト教界の二面性。』

賛美において、

●神様に捧げる賛美だから、失礼のないように、完成度を挙げた賛美を 捧げることが大切。

●神様に捧げる賛美だから、上手下手よりも 捧げようとする心が なにより大切。

祈りにおいても、

●神様に捧げる祈りだからこそ、きちんとしなければならない。

●神様に捧げる祈りは、上手でなくとも良い、素直に思ったままに、神様に直接語ることが何より大切。

これは、一例でして、まだまだ他もありますね。

要は、

神様に対して、あくまで失礼のなきように、配慮する方と、神様の御前に 素直に、語り、ありのままを表現する方との二つがありますね。

牧師自体も、そのように指導する方たちが おられますね。

正直 一体どっちやねんと思います。

私は、もちろん、形式ばった、マニュアル的なものは嫌いますから、
当然、神様と、自然体で、向き合える方を選択します。

人それぞれですから、なんとも言えませんけどね。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月 8日(金)22時14分44秒
返信・引用
  「イエスは言われた、『手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである』。」

            聖書 ルカ9:62


「すき」は田畑を耕す道具で、鋭い刃を備えた物です。この作業中にうかつに気を抜くと、命を失う危険があります。同様に、イエス様の声を聞いて従うのはまさに命がけでなすべきことです。主のみ声を聞きつつ、他のことに心奪われるなら、命を失う危険が大いにあります。救の完成と言う大事業に向かって踏み出した私たちは、イエス様の声にのみ全神経を集中させ、みことばに従おうではありませんか。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月 6日(水)19時57分34秒
返信・引用
  「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。」

               聖書 エペソ6:6-7


イエス様を信じて新しい命に生きる生活は、神様のしもべとなって生きることです。この世にあって果たすべき役割を家庭や職場、学校や地域社会などでそれぞれ持っていますが、そのような活動を通して、神様に仕えるのが私たちの使命です。人間関係をうまくやることより、神様との関係に重点をおくのがイエス様を信じる信仰に生きる生き方です。
 

見返りを求めている自分。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月 4日(月)11時14分53秒
返信・引用
  『見返りを求めている自分に反省。』
今朝 ある交通量の多いところで、他の小道から、合流しそうな車がいたので、私は、車の流れに、空間を意識的に作って、入らしてあげようとした。当然、相手は、合流してくる、そして お礼のハザードか、ペコリと時宜をするかと思いきや、知らぬ 存ぜぬ で、当然のような顔をして、それも、荒い運転で、走り去っていった。その後、私は、こういう性格ですから、腹が立った。でも、 よく考えると、相手に見返りを求めて、善意の行動をしたのである、その後、相手に見返りを求めるから、腹が立つのであって、見返りを求めないなら、何でもないことなので、そのようにしようと思った。前から、わかっていたことだが、いざとなると ついつい その考えになります。反省。
 

十字架

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 6月 1日(金)20時40分13秒
返信・引用
  十字架
ある教会は、信徒が教会員ともめて、躓きそうになると、人を見ないで、ただ主のみを見上げましょうと。また、ある教会は、主のみを見上げて教会生活を送っていると、十字架を見てください、縦に神様とつながり、横に聖徒の交わりがありますよね、このように、主だけでなく、教会員との交わりも大切にしてくださいねと、なにか、一体どっちなんだと、言わんばかりのことを語りますが、要はバランスなのでしょうね。ただ、これも万全ではなく、主のみを見上げると、恐ろしく無関心な信仰となります。また、聖徒の交わりを重点に置くと、人間関係で、重篤な精神状態となります。だからと言って、バランスよくこれを保てるかといえば、至難の業です。だから、教会生活は、ある面、難しくもありますよね。でも、中には、教会生活が楽しいと言われる方もあるのですから、うまく教会生活をされてある方もいるということですよね。教会の雰囲気にもよるのでしょうね。願わくば、雰囲気の良い教会であってほしいですよね。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月30日(水)21時27分57秒
返信・引用
  「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」

          聖書 第一コリント8:2


「知識は人を高ぶらせ…」と聖書にありますが、誇るに足るだけの知識があれば、納得できます。しかし、案外、知ったかぶりの半可通ほど高慢になるものです。殊に神様については、どんな人でも知り尽くすことができません。謙遜とは知るべきものすら知らないことを自覚している人ではないでしょうか。謙遜になって、主を知ろうではありませんか。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月28日(月)20時50分21秒
返信・引用
  「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」

              聖書 マタイ7:14


イエス様の救いは決して狭い門でも、細い道でもありません。いや、それどころか、すべての人々のために救いを完成してくださったのです。広い門と道を備えておられるのですが、残念なことに私たちがそこへ行こうとしないのです。門を狭くし、道を細くしているのは私たちの頑なで強情な心と不信仰のゆえです。主は今日も御手を広げて、私の所へ来なさいと招いておられます。砕けた悔いた心になって命の道を進んでください。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月28日(月)15時20分41秒
返信・引用
  「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」

           聖書 マタイ9:12


確かに、医者を必要とするのは病気の人です。自分が病んでいることを自覚し、治りたいと願う人が医者のところへ行きます。その自覚がない人は、いくら病んでいても医者を求めません。同様に、自分の罪を知り、弱さを認め、神様の救いを願わなければ、イエス様を求めません。自分を省みて、不安や恐れ、怒りやつぶやきなどに満たされているなら、平安と望み、愛と喜びを求めて、神様に帰ろうではありませんか。
 

輝ちゃんへ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月28日(月)10時25分2秒
返信・引用
  輝ちゃん おはようございます。

妻が、7月から、職場が変わるかもしれません。

今の病院から、キリスト教精神のある、サマリア病院というところにです。

病院には、十字架もあり、いつも見上げて仕事ができるようです。

精神疾患の病院で、障碍者の就労施設も、老人のための施設も、痴ほう症の施設もあります。


今の病院は、休みが少なく、休みも不定期なのです。

帰宅時間も、遅いし、

体のことを考えると、病院を変えることにしました、

幸い、キリスト教精神の病院の職員の募集があっていたので、

応募したようです。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月28日(月)10時16分26秒
返信・引用
  「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」

        聖書 第二コリント4:15


「神様の栄光」を現すなどと言うと、大変なことだと思ってしまいます。何をすればいいのかと戸惑いますが、実はとても簡単なことです。みことばにあるように神様の恵みを感謝することです。しかも、そこそこの感謝ではなく溢れるばかりに感謝するとき、それが神様の栄光となるのです。あなたが神様を褒め称え、感謝讃美することを願っておられます。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月27日(日)21時22分27秒
返信・引用
  「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。」

          聖書 詩篇130:5


私たちの信仰は手でさわったり、目で見たり、耳で聞こえるようなものによって得られたものではありません。「待ち望む」とは信じることですが、私たちの信じるものはみ言葉だけです。聖書の言葉を通して伝えられる神様の約束、励まし、望み、諫言などを、神様からの語りかけと信じて生きるのが信仰です。み言葉を信じることが神様を信じることであり、み言葉によってのみ、力と命、望みが与えられます。
 

こんばんわ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月27日(日)21時20分38秒
返信・引用
  輝ちゃん お久です。

はぐれさんのことですが、掲示板から撤退されました。

いろいろな考えがあったのでしょう。

時折、メールで連絡が来ますし、パソコンのサポートをしてくださいます。

私もですが、時折、いろいろなことが頭の中を遮り、しばらく休養したくなることもあります、

わたしは、はぐれさんがそうであるなら、そのようにさせてあげたいと思っていますよ。

また、復活したら、来られるかもしれませんね。

それから、輝ちゃんの娘さんの方のお孫さんの洗礼式のお写真ですね。

素晴らしいです。

私は、このような写真を見るとき、

つい忘れてしまった、原点を思い出します。

教会にとっても、信徒にとっても、喜ばしきことですね。

何より、身内である輝ちゃんは 感慨ひとしおでしょうね。

ハレルヤ アーメンですと、叫んだことでしょう。

信仰告白の時も、感動しませんでしたか?

そして、その日の賛美 一生 忘れえぬものですよね。

とにかく 良かったですね。

牧師様の顔も少し写っていますね。(*^_^*)
 

お久です。

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 5月26日(土)10時48分1秒
返信・引用 編集済
  洋ちゃん こんにちは。(*^-^*)

元気そうでなによりです。
本当に、人間てややもすればカルト的になりやすいのですね。
怖い事です。聖書は何を言ってるか、また自分はこれでいいのか?
と絶えず悔い改めが大事ですね。

例年黄砂が多いと体調が悪いの。マスクしなきゃ!
それはそうと、はぐれさんはどうされました?
以前のブログへ行っても無くなってるのです。
どうされたか心配ですよ。

(娘の方の孫の洗礼です。軽い知的障害がありますが、祝されて感動しました。
人は神の前で皆平等だと確信しました。中一です。)

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

アーサーホーランド牧師のメッセージ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月26日(土)09時56分55秒
返信・引用
  アーサーホーランド牧師の記事をシェアーさせていただきました。
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『THANK YOU(サンキュー)』

『何があっても
 最後はサンキュー(ありがとう)で
 締めくくればいい…』

萎える気持は分かる…
だからといって、
己を責め立てても仕様がない…

投げ遣りになるのも、
また、開き直るのも、
そして、遣る気を出すのも、
自分次第である。
勿論、甘えるのも、
また、人に頼られるのも自由である。

人それぞれに様々な生き方がある。
「人に如何の斯うのと
 言われる筋合いはない…」
と頭に来る事もあるだろう…

結局、どうするのかを
最後に決めるのは己自身なのだ。

生きることは難儀なことである。
思う様に行かないのは当り前である。
苛立つことや思い通りにならないこと、
また、悲しいことや辛いことは
決して無駄なことではない…
泣いたり、笑ったり、愚痴ったり、
当たり散らしたりすることもある。

正直であることだ。
誰であれ、人にとやかく
言える柄ではない自分であることを
忘れないことである。

格好を付けるよりは、
格好悪い己と向き合うことだ。
逃げていては
何の解決にもなりはしない。

理想を抱くのはいいが、
己の現実の姿を
無視しないことである。

人は成功した時よりも、
逆に失敗した時の方が、
人間らしい自分になれる。

駄目人間で結構。
また、「愚か者」と言われても、
「その通り」と言ってあげればいい…

「間抜け」と言われる自分も
大事な自分であることを
忘れないことである。

そんな己を卑下(ひげ)し
蔑むのではなく、
「よしよし」と己が自分を
抱き締めてやれ。
そして、「くそー」と愚痴って、
また、立ち上がればいい…

あなたはあなたなのだ。
善人ぶらなくてもいい…
建前と本音を使い分けて
上手に世渡りできても、
己と向き合うことを避けていては
何の益にもならない。

自分と正直に向き合い、
その真の己の姿を受け止めることが、
見えない大いなる存在を
受け止めて行くことに
つながっていくのである。

「自分を愛する様に
 あなたの隣人を愛しなさい…」
と魂のロッカーJESUSは語っている。

そして、自分を愛するには、
大いなる方に愛されていることを
知ることである。

JESUSの十字架の出来事は、
あなたが今迄も、またこれからも、
愛されていることの証なのだ。

今日の一日が何が起っても、
サンキューJESUSと
口に出せる一日であります様に…

『色々あった一日も
 サンキューで終わればいい…』

アーサー・ホーランド







 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月26日(土)09時53分12秒
返信・引用
  「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。」

         聖書 コロサイ3:16


信仰が形成されるには、キリストの言葉、聖書の言葉を聞くことから始まります。次に、聞くだけでなく、その言葉をいつも心に置いて生活することです。「宿らせる」とは、記憶する、暗記することばかりではありません。実生活の中の出来事に当てはめ、自分の考え方や心の動きをそれに添わせていくことです。その為には、いつも言葉に接して、味わい、信じ、従うほかありません。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月23日(水)17時04分58秒
返信・引用 編集済
  「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」

          聖書 マタイ6:13



「主の祈り」の一節です。確かに、試み、試練と言われるものは好ましいものではありません。しかし、私たちは頑固で、鈍く、不従順な者ですから、苦しみや困難に遭わなければ砕かれた心、謙った者となれません。どうぞ、試みに会う前に、はやく神様のみこころを悟って、主に従おうではありませんか。神様は私たちに試練を与えたいとは思っておらず、むしろ、痛い目に会わないようにと願っています。
 

行ってはいけないカルト教会の特長

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月20日(日)17時32分6秒
返信・引用
  【行ってはいけないカルト教会の特徴 】

知恵ノート 聖書 キリスト教 カルト 教会

近年、通常のキリスト教会がカルト化傾向にあります。聖書を知らない人ほど惑わされてしまいますので、教会に行く前に自分でまず聖書を読むことをおすすめします。



聖書は信仰を持って「神様が自分(読者)に語りかけてくれている」と思って読むならば、神様自身が導きを与えて下さり、「聖書の本質(神の愛や信仰)」に関しては、誰からも教わらなくても分かるようになっています。

「牧師に教わらないと分からない」「信徒では理解できない」とは思わないでください。



また「大きい教会(たくさんの人が集う教会)ほど安心」というのは、間違いです。実際は、大きい教会ほど聖書から離れている傾向があります(カトリック教会やプロテスタント内リベラル派・エキュメニカル派)。

聖書の教えよりも人々(罪びと)が好むような「世的な教え」をした方が、じつは人はたくさん集まるものです。



以下に、カルト教会、あるいはカルト化傾向にある教会の特徴を挙げておきます。該当する項目が多いほど危険と判断してください。



<教えに関して>

①聖書以外のテキストを頻繁に使う

②有名な(大きな教会の)海外の牧師・説教者・リバイバリストなどの教えをそのまま信奉する(やたら「○○先生がおっしゃっている」などと言って、聖書よりも有名説教者に従わせようとする)

③聖書を均等に学ばずに、同じ箇所ばかり強調する

④セカンドチャンス(死後にも救いの可能性がある、という非聖書的教え)を認める

⑤チョー・ヨンギ(自己実現・成功哲学・肯定思考)、リック・ウォレン(キリスト教にイスラム教を混合させた教え、エキュメニズム、マーケティングによる教会形成)、ベニー・ヒン(拝金主義、偽預言者)、ピーター・ワグナー(自称「使徒」・権威主義)、リック・ジョイナー(偽預言)、シンディ・ジェイコブス(偽預言)、ビル・ジョンソン(自称「使徒」、ニューエイジ思想、繁栄の神学)が好き

⑥解釈が曖昧な(明確にされていない)聖句に対し、「この聖書箇所は、実はこういう意味です」と説明して、新種の教えを作り出す



<牧師の態度>
①牧師の権威が強い(「神様に従うことは、牧師に従うこと」とそれらしい事を言って、隷属させようとする。牧師に従わないと「神に反逆している、悪魔にやられている、地獄に落ちる」などと脅す。)

②「裁いてはいけません、赦しましょう」と言って、牧師の間違いを指摘することを封じる

③「弟子訓練」と言って、キリストの弟子ではなく、牧師に従順な信徒作りをしている

④ほかの教会・集会に参加したり、自分の教会(堂)以外のところで信徒同士が合う事を嫌う(牧師・指導者による信徒管理・支配体制)

⑤やたら大声で説教するなど、威圧的な口調



<教会の方向性、信者の雰囲気>

①初めのうちは牧師・教会員みんなで大歓迎する(ラブ・シャワー攻撃:その教会に依存する性質を持たせるため)

②「教会成長」「ビジョン」「勝利(勝ち取る)」「打ち破り」「示された」「祝福」「権威」「霊的」「戦う」「油注ぎ」「変革」「解放」という言葉を好む
③「セル・グループ」という名の信徒管理システム(特に、セルで牧師の教え以外を語ってはいけない、という場合)の導入
④病気になったりすると「信仰が足りない」と責める、病院に行かせず信仰(祈り)で直せ、と勧める

⑤牧師の前や信者の前で、罪の具体的な悔い改め告白をさせ、恥をかかせてその人の精神を追い込む

⑥否定的な言葉を一切言ってはいけない、いつも肯定的な言葉だけ告白しなさいと言う(「信仰の言葉(ワード・フェイス)」と呼ばれる、この世の肯定思考・自己実現主義)

⑦聖書よりも「病の癒し」「奇跡」「不思議な現象」「個人的体験談(霊的直感)」「流行の教え」に心を注いでいる

⑧断食や長時間の祈りなど、自分の信仰深さ(熱心さ)を自慢げにしている

⑨自分の教会こそ、優れた教会だと思っている

⑩牧師のご機嫌を取る、取り巻き連中(イエスマン)がいる

⑪ユダヤ教(旧約聖書)の祭りなどを実際に行う

⑫やたらと禁止事項が多い(情報統制)

⑬何かと「悪魔・悪霊の仕業」と結論づける

⑭自らの高揚感や興奮を求めている

⑮終末の危機感をあおる

<献金や奉仕>
①十分の一献金の強要、集会参加の義務化

②教会に献金をたくさんすると、捧げた人は(特に経済的に)祝福されるので、できるかぎり多く献金するように強く勧める(「繁栄の神学」というご利益信仰)

③たくさん献金をしている信徒をチヤホヤする
④教会内の奉仕をたくさんさせる(疲れさせて、正常な判断力を鈍らせる)

⑤教会会計(献金の使われ方)の報告をあまりしなかったり、内訳が大雑把だったりする



*直接その教会に「安全な教会ですか」などと聞いても、みな「うちは正統派で安全です」というに決まっていますので、ネットなどで悪い噂がないかどうか、かならず確認してください。

*ちなみに、「地域教会に所属していなければ救われない」という教えは聖書にありません。聖書に書いてあるとおりのキリストを信じることによって、人は(目には見えない本当の意味での)教会の一部となるのです。






 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月20日(日)12時04分7秒
返信・引用
  「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」

              聖書 詩篇103:1-2


神様をほめたたえ、感謝することは私たちの力であり、喜びです。命も健康も、日々の生活も仕事も家族も、どれをとっても神様によらないものはありません。しかし、人は自分勝手に事の良し悪しを決めて、神様を忘れ、感謝なく、不平不満、つぶやき憤りに心奪われて過ごしています。小さなことから大きな事まで、神様のめぐみばかりです。「主よ、感謝します」と叫んでください。
 

故郷の夢

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月14日(月)21時10分5秒
返信・引用
  ふと、先日 故郷の島のことを思い出しました。
私の故郷は、長崎県の玄界灘にある壱岐の島ですが、
港の岸壁に、アジの子供がたくさん来るので、
私は、小さいころ、
それをよく釣っていましたよ。
大抵、50匹は、釣って持って帰っていました。
そして、アジフライにするのです。
とてもおいしいですよ。
今は亡き母が、いつも料理してくれました。
なんか、そんなシーンが、夢に出てきました。
母の写真は、ちょうど私の布団の上の方にあるのですが、
頼りない息子のために、夢に出てきたのでしょうかね。
それから、
壱岐の島は、対馬という島と兄弟のように言われています。
対馬は高い山がありますが、壱岐は、平地ばかりなので、
対馬を男性にたとえ、壱岐は、女性にたとえられます。

冷戦時代には、
この辺りは、し烈な威嚇合戦を見られましたし、
被害も受けました。
また、元寇でも、被害を受けましたし、
韓国の李ラインのある時も、被害を受けました。
そして今、
米国の大型の無人多目的偵察機の実験場として、
壱岐飛行場は、利用されています。
私は、このような環境で生まれたので、
国防が、いかに大切かを思い知らされました。
ちなみに、
壱岐には、自衛隊の大型のレーダーサイトがあります。
対馬にも陸上自衛隊が、駐屯しています。
韓国とは、竹島のこともあり、微妙な緊張関係にあります。
韓国は、味方のようでも、敵なのですよね。
何せ、韓国は、日本を仮想敵国にしていますからね。
信用できない国ですし、北朝鮮も、同じです。
私の韓国嫌いは、このようなところからきていますよ。
 

針の寧ろ状態になると。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月12日(土)19時52分41秒
返信・引用 編集済
  教会は、
信徒の現状を把握し、思いやりと、配慮を示すことだよね。
どのような人たちが来ているかわからないのであるから。
無神経であってはいけません。

教会には、
離婚した人も、子供のできない夫婦も来ます、
結婚したくとも、結婚できない人も来ます。
障害者に配慮するように、細やかに配慮してほしい。
特に講壇からの、メッセージには、気を付けてほしい。
 

こんばんわ。(*^_^*)

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月11日(金)21時54分49秒
返信・引用 編集済
  輝ちゃん こんばんわ。

教会や、その他の場所で
他の人と、自分を比べたがったり、
また、
平均より、とびぬけてもいけないし、
劣ってもいけないと思うのは、
日本人の、冴えたる特徴ですよね。
とにかく、
目立たないようにして、人ごみの中に隠れたがりますが、
此れとて、長所短所ありますね。
欧米の人は、日本人とは違い、個性と、自己主張を大切にしますよね。
でも、
欧米でも、この日本人気質を、少しずつ評価してますよね。

また、律義なことでも知られ、
お店で 長い列があったとしても、律義に並んでいますよね、
欧米では、
その特質が いまだ 理解不能ということらしいです。(*^_^*)
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月11日(金)21時39分2秒
返信・引用
  「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、…。」

              聖書 ピリピ3:13


時は川のように流れているといわれます。確かに、とどまることなく進んで行きます。私たちはその流れに持ち運ばれて、繰り返すことの出来ない「時」を生きています。しかし、人は過去を手繰り寄せて、今の時に亡霊の如く呼び戻そうとします。それはまことに無駄・無益なことです。「後のもの」をすっかり忘れて、前に向かって踏み出してください。
 

痛感

 投稿者:輝子  投稿日:2018年 5月 9日(水)09時24分28秒
返信・引用
  洋ちゃん はぐれさん おはようございます。(*^-^*)

眼の調子はすこ~し良くて月末はまた注射です。でも早い方がいいのです。

ホントにね、私もつい人と比べますね。辛い、イカン!と思いつつ。
これではいけない。と悔いて平成になります。だいぶましになりましたが。

どこまで罪びとやろね。
教会の花壇が美しく花をさかせています。

http://www.eonet.ne.jp/~teruko15/ 

 

日本人の特質

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月 8日(火)14時25分0秒
返信・引用 編集済
  『日本人の特質』

日本人というのは同調し、連帯することを得意としているだけに、
その枠から、外れると、その人を攻撃する性質を持っています。
たとえば、いじめもその一つですよね。
また
他の人と比較することが好きてすよね。
比較からは、嫉妬が生まれ、
その嫉妬の行き着く先は、悪事となります。
だから、
人と比較することは、よくないことです。
その人には、その人にしかないものがありますからね。
また
人は、それぞれに 賜物が違いますから、
その人の得意とする特定の分野で、
其れを発揮すればいいだけの事です。
それがなんであれ、気にしないでいいのです。
その人の賜物は、
その人だけに、神から授かったものだからです。
 

映画

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 5月 5日(土)20時25分48秒
返信・引用
  映画のアドベンチャーを見てきましたよ。

ゴールデンウィークは、皆さん あちこちに行かれておりますが、
わたしたち夫婦は、
映画を見に行きましたよ、
それから、沖縄のショッピングモール ライカムというところで、
長崎名物 ちゃんぽんをいただきました。
とてもいい一日を過ごしました。
天候にも恵まれ、サイコーでした。
しかし、人がいっぱいで、
さすが、ゴールデンウィークと思いました。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 4月30日(月)21時12分14秒
返信・引用
  「今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。」

               聖書 ヨハネ12:27


主は決してスーパーマンではありません。私たちと同じ人となってくださいました。だから、十字架の死を前に心が騒いだと告白しています。しかし、主は果たさなければならない使命がありました。私たちにも一世一代の決断を迫られるときがあります。「このために、この時に」求められることを避けることはできません。神様があなたに求められるとき、覚悟して臨もうではありませんか。
 

毎日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 4月28日(土)15時08分51秒
返信・引用
  「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」

             聖書 エレミヤ17:9

人の心ほど頼りなく、定まらないものはありません。その実態が見えないので気が付きませんが、心に去来する思いは自分でも驚くほどに「悪」に満ちたものです。瞬時に消えてしまうので、誰も自分の心の奥底まで知り尽くすことができません。悪から離れて、美しい思いに溢れる心を持ち続けられるように祈り求めようではありませんか。
 

こんにちわ。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 4月28日(土)15時07分2秒
返信・引用
  輝ちゃん こんにちわ。

昨日の夜、輝ちゃんとこのブログに立ち寄って、画像と聖句のアップを収集しに行きましたが、
とても、きれいなカラフルな写真がありましたので、いただきました。
また、グループのところに、アップしようと思います。
ところで、キリスト者と一口にいっても いろいろな方たちがいるよね。ネットの中にも、なんかこれでも、キリスト者なの、聖書のどこを読んでいるのかいなと思う人がいるよね。
神様は、そんな人も造られたんよね。毒麦のたとえにもありますが、色々育てて、つまらないものは、燃やすんよね。わても 注意しよう、人の事ばかり言っていますが、私自身も、悔い改めようっと。それから、沖縄は、先日まで、寒の戻りもあったし、梅雨みたいに、小雨模様でじめじめして、風も強かったです。ほんと、梅雨がもう来たんかいなと思った。
それから、目の方の治療はいかがですか、
あんまり、無理せんどいてね。
わては、このごろ、寝起きがきつい、筋力低下してきたのかな。
それで、お散歩をすることにしました。アパートの近辺をくるくる回っております。
ちょっと歩くと、ぜーぜー言って、こりゃ やばいと思ってます。
だから、もっともっと、歩かなきゃね。仕事に耐える、体力づくりを目指します。

 

徒然なるままに。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2018年 4月28日(土)14時54分16秒
返信・引用
  『人ではなく 神を見上げて。』

これは、教会でよく耳にする言葉です。
人は不完全なもの、人は欠けた存在、だから、教会内では、信徒のどのような言動に傷つこうが受容しそれらを見るのではなく神を見上げて教会に来なさいと取れますよね、そして、そうでしょう。しかしですよ、はっきり言います。はじめから、神を見上げてくる方などは、いるわけがありません。そもそも、信仰になぜ関心を持ったかと聞くと、一番多いのは、友人知人がキリスト教の信者で、その方が、やさしい方で、心配りのある方だから、その方の通っているところに行ってみたいと思ったのと、こう来ます。このことを教会は、信徒は、ついつい 忘れがちです。神様を見上げるのは、信仰の深まりと共にそうなるのです。教会としては、先ず神ありきと 言いたいでしょうが、現実は、牧師の人柄、信徒の人柄によるものが大きいのです。牧師が、信徒が、しっかり証をしているということなのです。特に、牧師は、教会の顔ともいわれていますよね。だから、教会は、ことあるごとに、信徒同士、気遣いなさいと、互いに愛し合いなさいと、ことあるごとに、諭すべきです。あたかも、教会で躓けば、躓いた信徒が落ち度のあるように、すり替えないことだと思いますよ。また、極論を言いますが、犯罪被害者に 人間は、もともと悪い人は いないのよと言うようなものです。犯罪に合えば、人間恐怖症になるのは、当然のことなのですよ。教会で被害に合われた信徒に、私の教会は楽しいし、そんなことはないですからなどと、言おうものなら、もう、二度とその信徒とは、交わることはありません。被害にあった教会は現に存在し、その行動は、現にあったからです。それを全否定する心無い言葉は、信徒を教会から、離れさせますし、信仰を失わさせてしまいます。だから、要注意です。あなたの教会では、そういうことがなかったかもしれませんが、この信徒の教会では、あったことなのです。それを理解してあげないと逆に神様を悲しませる結果になるのです。人ではなく、神様を見上げてという言葉は、時として、教会の弁護に利用されたり、信徒の弁護に利用されたりして、責任転嫁に利用されるものなのです。教会信徒は、しっかり、そのことを理解すべきです。
 

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